個人で実現「時刻表ミュージアム」開設までの執念 自分の蔵書を公開、誰もが過去への旅ができる
2022年4月29日、東京・中野に時刻表ミュージアムが開館した。館長は、中学1年生から時刻表を毎月購入し続けている鈴木哲也さん。懐かしい『鉄道唱歌』の発車メロディを聴きながら館内に入ると、ブルートレイン色に迎えられ、館内は鉄道一色の世界である。
圧巻は、年代順に並べられたJTB時刻表。最も古い1925年4月号の『汽車時間表』に始まり、1961年8月号から最新号までは1号も欠けずにそろっている。コレクションが目的ではなく、毎号愛読し、使いながら保存してきた時刻表を、ミュージアムとして一般公開するに至った経緯や時刻表の魅力を語っていただいた。
「どこまで行けるんだろう」が小学1年生の心に刺さる
――時刻表との出会いはいつだったのでしょう。
小学校1年生の時、父が新宿から小田原までロマンスカーで行く調べ方を教えてくれたのが最初だった。新宿駅を何時に乗ると、小田原駅には何時に着くよ。そこから東海道線で東京駅に戻ってもいいし、東海道新幹線に乗れば名古屋へも大阪へも行ける、と。時刻表をめくりながらそう聞いたときに、「どこまで行けるんだろう?」「乗り換えっておもしろい」ということが子供心に刺さったのを記憶している。
――小学生の頃から、一人旅に出ていたのだとか。
小2の時に、中央線に乗って終点の高尾駅まで行ったのが最初だった。遠出したのは、小3から小4に上がる春休みのこと。東京駅から始発の新幹線に乗って、母の実家がある兵庫県の宝塚へ1人で行った。スリリングさも含めて、楽しかった。その後は、母の実家をゴールと決めて、北陸を回ったり、紀伊半島を一周したり、大阪を通り越して山陰から宝塚に戻ったりと、時刻表を駆使してルートを考えて、学校の長期休みを利用して一人旅をしていた。
――そんな小学生は滅多にいなかったのでは。
中学生になってすぐの家庭訪問で、対応した父が、小学校の時から一人で時刻表を調べて鉄道旅行をしているという話をしたところ、担任の先生が興味をもち、その後のホームルームに「このクラスにスゴイやつがいる」と私の一人旅の話をしてくれた。それまでは「鉄道が好き」ということを自ら公表することもなかったが、クラスでも一目置かれるようになった。友達から、「今度○○に行きたいけれど、どう行ったらいいか」と相談されることもあった。それからは、時刻表が好きだということに自信がもてるようになった。さらに、同じ趣味の友達も現れた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら