個人で実現「時刻表ミュージアム」開設までの執念 自分の蔵書を公開、誰もが過去への旅ができる

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――時刻表を毎号集め始めたのは、いつからですか。

中学生になって毎月1000円のお小遣いをもらえるようになってから、半分の500円で時刻表を買うようになったので、1980年5月号から。中2の夏休みには、鉄道仲間の友達と2人で東北旅行に行った。この時に乗った日中線(喜多方―熱塩間を結んだ国鉄。1984年に廃線)の経験から旧型客車に惹かれて、その後、旧型客車を求めるようになった。それは現在にまでつながっている。

自身の生まれ月の時刻表を手にした鈴木哲也さん。人生も「乗り換え」が多く転職7回目の会社員&時刻表ミュージアム館長(筆者撮影)

――毎号買いためた時刻表はどのように楽しんだのですか。

当初は毎号買うだけで、コレクションする気はなかった。ただ読んで、それを使って机上旅行をしていたために愛着があって、捨てられずに取ってあった。時刻表は、ダイヤ改正の時でなければ、本体の時刻表部分はほとんど毎号変わらない。それでも毎月買うのは、巻頭カラーの特集ページで取り上げるデスティネーションキャンペーンの記事や、駅弁や車両などの連載記事などを読むのが楽しみだったから。また、読者との交流ページ『たいむたいむてぇぶる』では、同じ時刻表好きの人たちの体験談を共有することもできた。

「一度全部並べてみたい」が大きな転機に

――毎年、B5判で厚みのある雑誌が12冊ずつ。どのように保管していましたか。

ちょうど12冊が収まる市販の箱を見つけて、それに1年分ずつ。しかしそれも何十箱にもなると1カ所に収まらず、自宅の押し入れ、実家の倉庫などに分散されていた。中1で時刻表を買い始めてから30年。360冊そろったところで、「一度これを全部並べて写真を撮ってみたい」という衝動が生まれた。そこで思い切って、「展示会」を開催した。結果的に、それが転機になった。

――「展示会」とは、どのようなものだったのですか。

2010年6月、中野サンプラザに1日部屋を借りて、年代順に並べて展示した。全部そろえて見てみたいという個人的な欲求だったが、関心のありそうな周囲の人に声をかけると同時に、新聞社3社にも情報を伝えた。すると、2紙が取材して記事を掲載してくれた。1日だけの公開だったので、後日記事などで知った人から「行きたかった」「もうやらないのか」という連絡を多数もらったので、10月にももう1回開催した。このことで、自分の時刻表コレクションを求めている人がいることを、確認することができた。さらに、新聞記事を見た他メディアから取材のアプローチもあった。特に影響が大きかったのが、NHKの『クローズアップ現代』。10月の展示会の時に取材に来て、他ジャンルの鉄道ファンと共に鉄道趣味の広がりをテーマに放映された。

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