加藤綾菜さんが「不妊治療はやめようと思った」訳 夫婦日記に子どもについても書いた経緯

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加藤:それでこのあいだも知らない人から相談されて、こういう性格なので、30分以上話を聞きました。ご本人は話すことで解決したみたいで、「解決しました」って帰りました。前はこそこそしてバレないように生きていたんですけど、今は自宅もバレてるので。地域密着型ですね。

──どうしたら綾菜さんのように明るくいられるのでしょうか。

加藤:わからないな。でもよく折れずにやってきたと思うよ、自分でも。でも負けたら終わりだと思っています。今の時代、こういうことはあまり言っちゃダメですけど。臆病で弱かったら、幸せになれないというのが自分の中であったんです。まわりの人を変えたくても変わらない。自分が強くなるしかない。歯を食いしばって10年先を思いながら生きてきました。

自転車をボコボコにされて木の上に吊るされたときも泣かなかったですもん。自分でおろして、塗られたペンキを雑巾でふいて乗りましたからね。絶対負けないって思いました。

加トちゃんが芸能界で築いてきたイメージが、私がたたかれたせいで悪くなってしまうかと思うと許せなかった。加トちゃんには感謝しかない。私と結婚してくれてバッシングされても一緒にいてくれて、絶対恩返ししたい。そのときの思いが今もあります。

24歳で悟っていた

加藤茶・綾菜の夫婦日記『加トちゃんといっしょ』
『加藤茶・綾菜の夫婦日記『加トちゃんといっしょ』』(双葉社)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

──ちなみに、エッセイは結婚後に書いていた日記をもとにしているそうですが、日記はどのように書いていますか。

加藤:半分は携帯のデータですね。隠れたブログみたいに。もう半分はノートにバーッと書く。

──バッシングされていたときには「バカヤロー」と書きなぐるとか?

加藤:いや、悟りをひらいたようなことを書いてました。「希望がない。いや、でも希望は自分でつくりだせる」とか、24歳で悟ってた。本当はそう思っていなくても、書くことで一生懸命自分に言い聞かせて生きてたという感じです。

安楽 由紀子 フリーランスライター

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あんらく ゆきこ / Yukiko Anraku

1973年、千葉県生まれ。国際基督教大学卒業後、編集プロダクションを経てフリーに。芸能人、スポーツ選手、企業家へのインタビューを多数行う。

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