東急「歌舞伎町タワー」、激戦区で勝つ差別化戦略 シネコンもホテルも高単価でプレミアム感

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

なお、東急歌舞伎町タワーはシネシティ広場に面しているため、タワー低層階に屋外ビジョンや屋外ステージを設置して、広場に観客を集めて、映画のワールドプレミアや音楽イベントなどを開催することも計画中。広場の活用については地元との連携が欠かせない。

「鉄道最前線」の記事はツイッターでも配信中!最新情報から最近の話題に関連した記事まで紹介します。フォローはこちらから

17〜47階は2つのホテルとレストランが入居する。2つのホテルはグレードが異なり、39〜47階に入居するホテルは「客単価7万円を目指す」と、東急ホテルズの宮島芳明常務執行役員が意気込む。東京・八重洲に2023年開業予定のラグジュアリーホテル「ブルガリホテル東京」を意識したものだという。

一方、18〜38階に入居するホテルは同じ新宿にあるヒルトン東京や京王プラザなどと競合する「客単価2万7000円を目指す」という。両ホテルは同じビル内にライブハウスや劇場、シネコンがあるという強みを活かし、映像配信や限定グッズの販売、レストランでは映画に登場したものと同じ料理が味わえるといった趣向を凝らすことで競合相手との差別化を図る考えだ。

「新名所」で歌舞伎町はどう変わるか

ところで、東急の本拠地といえば誰もが渋谷を連想する。一方の新宿はJR東日本のほか小田急電鉄、京王電鉄などのターミナル駅というイメージで、しかも歌舞伎町は西武鉄道のターミナル駅である西武新宿駅に隣接する。だが、東急歌舞伎町タワーはかつて映画館「新宿ミラノ座」などが入居した新宿東急文化会館(その後「新宿TOKYU MILANO」)および隣接するホテルグリーンプラザ新宿の跡地を開発したもので、東急は決して歌舞伎町とは無縁ではない。

1960年ごろの新宿東急文化会館(写真:東急)
「新宿ミラノ座」開業時の館内(写真:東急)

歌舞伎町という名前は「戦争の焼け跡の地に歌舞伎座を作りたい」という当時、町会長だった鈴木喜兵衛の思いに由来する。ただ、歌舞伎座の誘致は実現せず、代わりに東急の創業者、五島慶太の協力が得られ、のちに新宿東急文化会館が造られた。同時期に新宿コマ劇場や新宿プラザ劇場なども開業し、歌舞伎町はエンターテインメントの街として大きく発展した。

光の部分だけではない。ソープランドなど性風俗関連産業が軒を連ね、通りにはしつこいキャッチ(客引き)が横行し、広場にはホームレスが寝泊まりするようになった。しかし、44人もの死者を出した2001年の雑居ビル火災をきっかけに、地元商店街や企業、警察、消防などが一体となり、「歌舞伎町を誰もが安心して楽しめる街に再生する」ことを目指した「歌舞伎町ルネッサンス」という取り組みが始まった。現在の歌舞伎町は猥雑な部分を残しながらも、一時期に比べると確かに安全な街になった。

アジア最大ともいわれる歓楽街、歌舞伎町に新たな名所がもうすぐ誕生する。これをきっかけに歌舞伎町が今後どのように変貌するか。目が離せない。

大坂 直樹 東洋経済 記者

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

おおさか なおき / Naoki Osaka

1963年函館生まれ埼玉育ち。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。生命保険会社の国際部やブリュッセル駐在の後、2000年東洋経済新報社入社。週刊東洋経済副編集長、会社四季報副編集長を経て東洋経済オンライン「鉄道最前線」を立ち上げる。製造業から小売業まで幅広い取材経験を基に現在は鉄道業界の記事を積極的に執筆。JR全線完乗。日本証券アナリスト協会検定会員。国際公認投資アナリスト。東京五輪・パラにボランティア参加。プレスチームの一員として国内外の報道対応に奔走したのは貴重な経験。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
鉄道最前線の人気記事