日本に値上げ認めぬ社会規範 結果的に技術革新を阻害
評者/BNPパリバ証券経済調査本部長 河野龍太郎
個々の商品の価格とそれらが構成する物価全体は異なる振る舞いを見せる。かつて、ミクロ法則の解明が知の極限とされたが、量子力学の発展で、ミクロとは異なる特性がマクロで現れることがわかってきた。還元主義に立つ経済学も修正が必要だが、ここに新たな経済学の誕生を予感させる1冊が登場した。
物価研究の第一人者が、最新の研究を一般向けにわかりやすく論じた好著だ。
市場参加者は、中央銀行の一挙手一投足に注意を払う。しかし、多くの国民は、中央銀行に無関心なことがわかってきた。人間の関心の総量には、限界があるのだ。だから、9年前に黒田東彦総裁の下、日銀がインフレ率2%を目指し、人々のインフレ予想に働きかけるべく大胆な金融緩和を開始しても、資産価格に影響しただけで、肝心の物価への影響は乏しかった。
グリーンスパン元FRB議長は、物価安定を、人々が普段の生活で物価を気にしなくてもよい状況と定義した。コロナ禍の影響で物価高騰が続く米国では、国民の関心がFRBに集中する。かたや日銀への国民の関心が薄い日本は、物価安定が保たれ、金融政策はむしろ成功と言えまいか。
ただ、金融政策の効果は、人々の予想を通じて波及するため、中央銀行への関心を維持することも必要だ。あるいは、円安や原油高で輸入物価高が続けば、国民の関心はいや応なく日銀に向かうだろうか。
各国中央銀行が依拠するニューケインジアン経済学は、米英の経済をうまく説明できるが、日本経済への適用は難しいのではないかと、評者は疑ってきた。人々のインフレ予想に働きかけようとしてもゼロインフレから脱却できないのは、価格の引き上げを容認しない社会規範(ノルム)の存在が原因ではないか。
本書は、インフレ予想という考えを棄(す)てることはないが、日本ではノルムと読み替えることも可能と論じる。
物価感は、世代によって異なることが示される。1980年代以降、物価が落ち着き日本ではインフレ経験のない世代が増えている。高インフレの記憶を持つ人が減れば、値上げを容認しない社会規範が一段と強まりそうだ。
それでは、長引く日本のゼロインフレは問題なのか。消費者が値上げを許さないため、企業は容量削減や包装を変えただけの新商品発売で、ステルス値上げを繰り返す。経営資源はイノベーションに向かわず、多大な浪費が生じていると問題視する。評者も同意するが、果たしてゼロインフレだけが原因だろうか。
この記事は有料会員限定です。
東洋経済オンライン有料会員にご登録頂くと、週刊東洋経済のバックナンバーやオリジナル記事などが読み放題でご利用頂けます。
- 週刊東洋経済のバックナンバー(PDF版)約1,000冊が読み放題
- 東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
- おすすめ情報をメルマガでお届け
- 限定セミナーにご招待