アジアめぐる中日ロの争い 浮かび上がる真の支配者
評者/関西大学客員教授 会田弘継
清朝崩壊(1911年)から共産党政権成立(49年)までの中国の長い内戦と日中戦争、第2次世界大戦を「入れ子」構造になった3つの戦争と見て、相互に関連づけながらダイナミックに読み解いていく戦争史だ。日本人の歴史理解に奥行きを与えてくれる好著である。
米国の海軍大学校教授である著者は、アジアにおける3つの多重戦争の主役は中国、日本、ロシアであると説く。主な舞台は中国の内戦であり、米国は最終盤で登場したにすぎず、派手な立ち回りをしたが、その役割は「ほとんど無用に近かった」というのが著者の見方だ。共産党政権の誕生を防げなかったからだ。
中国の長い内戦には、隣接し、自国に都合のよい革命拡散を目指す共産主義ロシア(旧ソ連)、革命拡散を抑え込みながら生き延びを図る新興帝国・日本が深く絡んだ。だが、日ロいずれも目的は果たせず、ともに失敗の負の遺産を抱えて今日に至っている。
中国の内戦は軍閥が割拠し、合従連衡も複雑、まるで春秋戦国時代だ。策謀渦巻く中に日ロは、それぞれ利益を得ようとして巻き込まれていく。だが、国民党の蒋介石や共産党の毛沢東は、日ロや米国の動き、その向こうの世界大戦も、常に「内戦の結果にどのような影響を及ぼすかという観点から考えていた」。
日本についての著者の評価は、「戦争全体を通じて戦略レベルでは完全に失敗」と、当然ながら厳しい。中国やアジア諸国に甚大な被害をもたらし、自国も壊滅的敗北を喫したからというだけでない。蒋介石の正規軍と国民党支配地域の産業や鉄道網に大打撃を与え、共産党に有利な状況をつくり出してしまった。作戦には長けても戦略のない国だ。
ロシアが西安事件(36年)と国共合作を誘導したのはソ連時代を通じて「最大の外交的成果」で、日独によるロシア挟撃を防いだ。だが、第2次大戦後も続いた国共内戦を中国2分割に導くことで中国弱体化を狙った謀略は挫折した。
日中戦争での日本軍の殺戮(さつりく)は周知のとおりだが、中国軍の蛮行にも驚く。日本軍の進攻を防ぐため黄河の堤防を決壊させ、一挙に死者90万、避難民390万を出す。戦争の非道を改めて教えられる。
長い歴史の尺度で見れば、中国の歴史で繰り返された王朝交代が20世紀前半に起き、その交代期の混乱に各国が巻き込まれた構図が浮かび上がる。英語原題は「アジア(支配)をめぐる戦争」だが、支配者は結局、古くからと同様に中華帝国だったという読み方も出来そうだ。
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