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再燃し始めた通商交渉への「不安」 日米貿易協定協議の「後半戦」も始めねばならないが

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官邸の求心力が低下する中、各省調整ができず「2ジャパン」と皮肉られた時代に戻るおそれ。

2020年11月15日、RCEP首脳会合で協定に署名する梶山弘志経済産業相(右)と菅義偉首相(VIETNAM HOST BROADCASTER/AFP/アフロ)

昨夏の終わり、1人の元官僚が鬼籍に入った。農林水産審議官としてコメ市場開放交渉で陣頭指揮を執った塩飽(しわく)二郎さん。享年87。

初めてお会いしたのは1993年12月だから、ずいぶん昔のことになる。スイス・ジュネーブ。レマン湖の近くに立つホテルの玄関で誰かを待っていた塩飽さんは、怒りの表情だった。

「日本は何でこうなんだ」

飾らない物言い。鋭い眼光。野武士のような風体の日本政府高官から、いきなり不平不満をぶつけられて面食らった記憶がある。

当時日本は、多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド=UR)で守勢一方だった。コメ市場開放を求める国際的な圧力と、農業票を意識して「一粒たりとも受け入れられない」と息巻く国会との間に、塩飽さんは挟まれていた。

秘密交渉の結果、ミニマムアクセスという形で輸入実施に踏み切りコメの「鎖国」は終結するが、後味は悪かったようだ。

後年、塩飽さんには何度も話を伺う機会があったが、よくこんなことを口にしていた。

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