状況好転の兆しは武漢市民にとって朗報といえるが、都市封鎖を耐え忍ぶ人々は同時に複雑な心情を抱いている。活気あふれる大都市だった武漢が、なぜ1カ月も経たないうちに疫病都市に転落してしまったのか。もしすべてをやり直せるとしたら、一体何から始めるべきなのか。
感染源はどこにあるのか
新型肺炎の最初期に注目を集めたのは、やはり感染源の所在だった。
「武漢に原因不明の肺炎患者が出現した。SARS(重症急性呼吸器症候群)かもしれない」──。2019年12月下旬、そんな噂がネット上を駆け巡った。この噂の出所は、武漢の医師たちのチャットルーム内で一部の医師が鳴らした警鐘だったことが後に確認された。
12月30日、武漢市衛生健康委員会が医療機関向けに出した「原因不明の肺炎の治療に関する緊急通知」がネット上に流出。そこには、武漢市内の多数の病院で原因不明の肺炎の症例が相次いでいることや、患者たちが生鮮食品の卸売市場である「華南海鮮市場」と関わりがあることなどが記されていた。
翌31日の早朝、防護服に身を包み噴霧器を背負った多数の防疫係官が華南海鮮市場に現れ、場内の消毒を行った。この光景は、多くの市民に2003年のSARSの恐怖を思い起こさせた。SARSは2002年11月に広東省で最初の症例が確認された後、中国全土と海外に急速に拡散。2003年7月に終息するまでに8000人以上が感染し、774人が死亡した。
同日午前には国家衛生健康委員会の専門家グループが武漢に到着。そして午後1時頃、武漢市当局が新型肺炎に関する初の発表を行った。そのなかで同委員会は、医療機関が診察した肺炎患者の多くが華南海鮮市場と関係があるとし、その時点までに27人の患者が確認され、うち7人が重症。その他の患者の病状は安定しており、2人は近く退院する見込みだとしていた。
翌日の2020年1月1日午前8時、武漢市江漢区の市場監督管理局と衛生健康局の公印が押された休場の通達が、華南海鮮市場に張り出された。
同市場は漢口駅から700メートルほどしか離れていない市街地にあり、いつも多くの人々でにぎわっている。2003年頃に開業した後、商売が好調で2度にわたって拡張。現在までに敷地面積約3万平方メートル、総建築面積約5万平方メートル、テナント数が1000軒を超える大規模な卸売市場に発展した。
「われわれテナントの大部分は卸売りと小売りを兼営している。武漢と周辺都市の飲食店は大量の食材を華南海鮮市場から調達していて、休場になったら武漢の商売が立ち行かなくなるよ」。ある商店主は、現地を訪れた財新の記者にそう語った。
名称は“海鮮市場”だが、場内では家禽(かきん)類や野生動物などありとあらゆる食材が売られていた。休場前に財新記者が回ってみたところ、市場の外周に並ぶテナントの多くが水産物を販売する一方、野生動物を扱うテナントはいずれも場内の奥の目立たない場所にあった。
華南海鮮市場は東西2つの地区にわかれており、野生動物の販売店は西地区に集中していた。その西地区には全部で600以上の販売ブースがあり、1000人を超える人々が働いていた。
「休場の通達が出るまでヘビやキジ、サンショウウオ、ワニ、ノウサギなどがずっと売られていたよ。大部分は市場外で屠殺(とさつ)されていたが、生きた犬やヘビがその場で屠殺されることもあった」
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