日本銀行は1991年以降、継続して金融緩和に追い込まれ、この状態が常態化しつつある。
平成の日本は、さながら今まで試みられたことのない金融政策の実験場という趣がある。1991年7月に公定歩合が6%から5.5%に引き下げられて以降、平成の約30年間、ほぼ一貫して金融緩和が継続された。日本経済は史上例のない深刻なデフレに直面し、異次元の政策が次々と繰り出されていった。
金融政策を担う日本銀行は、98年に施行された新しい日本銀行法の下、独立性を付与されて生まれ変わった。金融政策の決め方や枠組みも大きく変化した。
以降、速水優氏から黒田東彦氏まで4人が総裁を務めた。財務省出身の黒田氏以外は全員、日銀出身者だ。新法下の金融政策は大きく3期に分かれる。最初の速水総裁は99年2月にゼロ金利政策を導入した。2000年8月にいったん解除したが、01年3月に量的緩和政策に転換した。
続く福井俊彦総裁は当座預金残高を引き上げ、速水時代に5兆円程度で始まったのが30兆〜35兆円まで拡大した。後任の白川方明総裁は、リーマンショックや東日本大震災などのショックに見舞われた「不運の総裁」でもあった。包括的な金融緩和政策を導入し、資産買い入れ基金を通じた資金供給規模は約100兆円に達した。
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