国民統合の象徴として、戦没者追悼や社会的弱者との交流を進めてきた。
戦争の指導者から平和の象徴へ。平成に入り、天皇のイメージは劇的な変化を遂げた。戦争の影を引きずる昭和天皇とは対照的に、今上天皇は戦後の民主主義的な環境下で育った。
英語の家庭教師・ヴァイニング夫人や、皇太子教育の責任者となった慶応義塾長の経済学者、小泉信三との出会い。美智子皇后との結婚は「ミッチーブーム」を引き起こした。
今上天皇と美智子皇后は「開かれた皇室」という形で、戦後民主主義にマッチした天皇像・皇室像を作り上げることに成功したといえるだろう。
天皇に即位してからは、憲法上はグレーな位置づけである国事行為以外の「公的行為」を、外国訪問や自然災害被災地の慰問、戦没者の慰霊という形で積極的に行ってきた。
戦後50年に当たる1995年以降、10年ごと節目の年に長崎・広島・沖縄、サイパン、パラオを訪問、戦没者の慰霊を行っている。
昭和天皇の外遊は訪欧と訪米の二度にとどまったが、今上天皇は92年の中国など28カ国を訪問。「わが国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました」と述べた。訪韓は実現していないが、90年の盧泰愚(ノテウ)大統領の来日時に「貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、痛惜の念を禁じえません」と述べるなど、天皇の歴史観が表れている。
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