ガイ先生ファンの私としては、歯がゆい思いをしていた。「岸本先生! 何とかしてくださいよ」と心の中で叫んでいたが、物語も終盤になってから、強敵・うちはマダラとの戦いの中で、ガイ先生の大活躍がようやく見られることになった。発動すれば死ぬという「八門遁甲の陣」によって、ありえない体術を駆使し、戦うのであった……。
「努力」の衰退
なぜ、私はガイ先生の活躍がうれしいのか。ここにはジャンプマンガの伝統復活があるからだ。ジャンプマンガの伝統とは、「努力」「友情」「勝利」を描くことであると言われていた。しかし、多くの作品で「友情」と「勝利」は描かれていても、「努力」の価値や過程が描かれることは少なくなった。だからこそ、私は「努力」キャラクターの活躍に歓喜したのである。
すでにジャンプの3大価値の衰退は、1993年から連載開始した『とっても! ラッキーマン』(ガモウひろし著)によって決定的となった。なにしろ、努力マン、勝利マン、友情マンよりも運だけのラッキーマンが主人公なのだから。なかでも努力マンは、ラッキーマンに弟子入りまでしている。バブル崩壊を経た90年代中頃、この作品は、「努力よりも運」という価値観を反映している。
しかし、逆に考えると、このマンガが笑いとして機能していたということは、努力という社会的価値はかろうじて生き残っていたとも言える。
けれども、2000年以降、努力よりも才能、つまり、生得的な何かがすべて決定するという社会的認識が広がった。努力の社会的価値が失われれば、努力を茶化すという笑いも生まれなくなる。
さらに、マンガファンとしては言いにくいことではあるが、努力を衰退させた最大の戦犯として、実は『ドラゴンボール』が挙げられる。
もちろん、主人公の孫悟空は修行をして強くなっていく。しかし、その修業は、どこかTVゲームのレベルアップの作業に似ている。重い亀の甲羅を背負っていたら強くなっていたとか、思い重力の下で修業をしたら強くなったとか。このような修行は、本当に努力と言えるのであろうか。
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