「源頼朝」婿を殺害、その後の行動が理不尽すぎた 頼朝vs義仲の「生贄」にされた清水冠者の悲劇

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「どのような理由で、わが主を討とうとされるのか。あなたは関東8カ国を征服し、東海道を攻め上り、平家を追討されようとしている。わが主も、東山・北陸道を平定し、一刻も早く平家を追い落とそうとしているのです。よって、あなたと対立して、平家に嘲笑されたいとは思いません。源行家殿が、あなたを恨むことがあると言い、わが主のもとに身を寄せました。わが主まで、それを冷淡に扱うのもどうかと思い、連れてはおりますが、わが主はあなたを恨みに思うようなことはございません」

しかし、頼朝はそれでも納得せず「義仲が私を討とうとしていると申す者がある。信用できぬ」として、追討軍を遣わそうとしたという。そこで、義仲は叛意のないことを証明するために、嫡男の清水冠者義重、11歳を頼朝のもとに人質として送るのであった。

さすがの頼朝もこの義仲の行動を見て「義仲に叛意のないことはわかった。私はいまだ成人した子を持ってはいない。よし、ではこの若者をわが子にしよう」と言うと、鎌倉に帰っていったという(『平家物語』)。

頼朝と義仲の対立について、『平家物語』では源行家を義仲がかくまったことによるものとしているが、『延慶本(平家物語にはさまざまな種類があり、その1つ)』はそれとともに、義仲と平家が縁戚となって、頼朝に敵対しようとしたことを武田信光(甲斐源氏)が頼朝に告げたことを理由に挙げている。しかし、義仲は「頼朝と自分が仲違いすれば平家が喜ぶのみ」として、頼朝との敵対を避けたとする。『延慶本』では、頼朝の側から「成人した子息をちょうだいしたい」と義仲に要請したという。

頼朝の娘・大姫と結ばれた義高

さて、この義仲の子は、『平家物語』では「義重」とあるが、『吾妻鏡』には「志水(清水)冠者」「義高」と記されている。ちなみに冠者というのは、元服して間もない若者のことである。ここからは、一般にも馴染みがあるであろう、義高に統一したい。

『吾妻鏡』によると、義高は頼朝の婿になっていたようだ。頼朝の娘・大姫(おおひめ)と義高は結ばれていたのだ。

ところが、元暦元(1184)年、義高の運命は暗転する。義仲はすでに亡くなっており、将来、その子・義高の反乱もあると見た頼朝は、この若者を殺そうと家臣に言い含めるのである。だが、そのことが女房たちから、大姫に伝わり、大姫は義高を逃そうとする。夜明け前に、義高を女房姿に変装させ、女房に周りを囲ませて、邸を脱出させたのだ。

他所に隠しておいた馬に乗り、義高は逃亡を図るが、その馬の蹄には、真綿を巻いていた(蹄の音が響かないようにするためだ)。用心に用心を重ねた逃亡ではあったが、さすがに夜になると、義高がいないことがバレてしまう。

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