「ふつうの出来事」を普通でない重大事件と位置づけるため、重大事件とは、実際に起きた「GDPのマイナス」という事件ではなく、増税延期という行為自体である、とした。増税を延期することを税制の大きな変更として、議会なくして課税なし、という文言を持ち出したのである。
これは群集心理を動かす。
まず、人々は戸惑う。増税する、という行為に対して、議会なくして課税なし、なのであるから、課税なしなら議会なし、なくてもいい、となるのではないか、と思う。
さらに、混乱するのは、1年半の延期は確定で、3年後には、必ず課税をする、増税をするという。それなら、単なる1年半の延期であり、課税でも課税なしでもなく、わずかな先送りに過ぎない。社会保障改革の先送りはかれこれ20年以上続いているが、1年半、そして必ず課税するのであれば、たいした先送りですらなく、重大事件どころか、出来事ですらないのではないか。これが人々の印象だ。だから、何が起こったのか、狐につままれたようになる。
このとき、エコノミスト的な、3年後の増税には景気条項がないから、どんなに景気が悪くても延期しないのか、それならば、いま延期するのは、今後想定される中で、景気が最悪の状況だからということになり、足元は最悪でアベノミクス失敗という議論になるのか、という理屈っぽい議論は関係ない。
疎外感を感じた人々が動き出す
人々は、何も起きてないが、選挙は起きるのだな、と思う。
そして、メディアが解散の大義云々、野党がそれを政局のためだけだと非難し、与党は国民の声を聞くことが重要だと叫ぶ。人々は疎外感に陥る。われわれと政治、選挙は関係ないのだなと。
大義のない選挙をする与党は許せん、と息巻くのは、政治好きな有権者であり、そのような人々はもともと群集心理で動かず、政治について自分の立場がある。今回分析する群衆有権者は、そのような人々とは全く違った発想、いや心理に陥る。
ここで、「だから投票率は下がり、各党の構造から行くと・・」、という分析をし始めるのは選挙アナリストで、プロの罠にはまっている。群衆はもっと曖昧で気まぐれで、しかし、必ず動くのだ。
そう。バブルと同じで、群衆は動き始めれば動き続けるのだ。止まっている群衆は止まり続け、それを動かすには、大きなショックが必要だ。それが大恐慌時にケインズが主張したことであり、2012年末に、アベノミクスが起こしたことなのだ。
それが2012年の解散総選挙にも当てはまった。つまり、群衆は動き始めたのであり、動き始めた群衆は止まることを嫌う、というか、止まっては後ろからの群衆につぶされてしまうから、動き続けるしかないのだ。だから、今度も動くだろう。
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