なぜソフトバンク工藤監督は背番号81なのか 「常勝軍団」は、いかにしてつくられるか

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秋山はホークスで現役生活を全うし、2002年に引退。オーナー会社がソフトバンクに代わった2005年、2軍監督に就任した。2007年から王監督の下で1軍の野手総合コーチを務め、2009年監督に昇格する。

指導者10年を区切りとしてクライマックス・シリーズ(CS)前に退任を表明。2014年の日本シリーズでは初戦を落としながら、第2戦の先発に今季3勝の武田翔太を抜てき。タテのカーブで阪神打線を幻惑して4連勝の流れをつくった。日本一で有終の美を飾った監督は。1955年の天知俊一(中日)以来、2人目だ。

これに対して工藤はダイエー初優勝の1999年オフ、FAで巨人に移籍した。2000年は12勝を挙げて優勝に貢献。初のON対決となったシリーズも4勝2敗で制し、前年の王に続いて今度は長嶋茂雄を胴上げした。

巨人に6年間在籍した後も横浜(現DeNA)と西武でプレーし、1年間の浪人生活を経て2011年12月、48歳で引退を表明。2013年からは野球解説者を務める傍ら、筑波大学大学院人間総合科学研究所でスポーツ医学を勉強してきた。

「落ちていくチームは当然ケガ人が多かったり、主軸が思わぬアクシデントだったり、チームの選手層がないと毎年優勝を続けるのは難しい。まずはケガをしないこと」

監督は「西武OBの黄金期時代」に突入

来季3年目を迎えるロッテ・伊東に新任の西武・田辺徳雄、楽天・大久保博元、そして工藤を加えてパ・リーグは4球団の監督が西武OBとなる。過去に同一球団のOBが同一年に4人監督を務めたのは4例あるが、いずれも巨人OB。1980年代から1990年代にかけての西武がいかに強かったかがわかる。

同じ西武のDNAを持つライバル球団の監督を相手に、独自の経験、理論を加えてどんなチームをつくり、いかに戦うか。まずは来季…。

過去にリーグ優勝チームを引き継いだ監督は10人いるが、連続優勝を果たしたのは1986年の西武・森1人しかいない。

その年の日本シリーズは鮮明に覚えている。広島を相手に初戦引き分けの後3連敗しながら、第5戦で工藤がサヨナラヒットを放って流れを変えた。3連勝で「逆王手」を掛けた第8戦、同点2ランの秋山がバック宙ホームインを披露し、1点リードの最後のマウンドで飛び跳ねたのは工藤だった。(敬称略)
 

永瀬 郷太郎 スポーツニッポン新聞社特別編集委員

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ながせ ごうたろう

1955年、岡山市生まれ。早稲田大学卒。1980年、スポーツニッポン新聞東京本社入社。1982年からプロ野球担当になり、巨人、西武の番記者を歴任。2001年から編集委員。2005年に「ドキュメント パ・リーグ発」、2006年は「ボールパークを行く」などの連載記事を手掛ける。共著に『たかが江川されど江川』(新潮社)がある。野球殿堂競技者表彰委員会代表幹事。
 

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