18世紀イギリス・フランスでの悪税と脱税事情 なぜイギリスの古い家には窓が少ないのか?

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ネッケルは、この徴税請負制度にメスを入れ、徴税請負人が徴税権を購入することを禁止しました。徴税請負人は決められた額だけを徴収し国家に納付する、徴税請負人は決められた報酬だけを受け取る、という、ごくまっとうな徴税役人の制度にしたのです。

そして、ネッケルは厳しい監査制度をつくり、不正を許さないようにしました。

これには、フランスの貴族や特権階級の者たちが猛反発しました。

彼らは、現在の雑誌のような市民に広く読まれていた「パンフレット」などを大量に発行し、ネッケルを攻撃しました。

国家の歳入と歳出を市民に公表

それに対して、ネッケルは強力な対抗策をとります。

フランスの国家の歳入と歳出の内容を市民に公表したのです。

それまで一国の財政というのは、秘密のベールに包まれているものでした。現在でこそ、国の財政は国民や世界に向けて公表されるのが常識となっていますが、近代以前の国家というのは、財政内容を決して公表することなどはありませんでした。

ネッケルとしては、自分が潔白であることを証明するための苦肉の策だったともいえます。が、この国家財政の公表は、フランス市民に大きな衝撃を与えることになりました。

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国家歳入2億6000万リーブル、そのうち王家の支出に2500万リーブルもが費やされていたのです。国民の年収が100リーブル前後だったので、2500万リーブルというのは、想像もつかない金額でした。当時のフランスでは、農作物の不作などにより、庶民は苦しい生活を強いられていました。ネッケルの会計公表で、民衆の批判の矛先が王室に向けられることになったのです。

ネッケルとしては、貴族たちからの批判をかわすために国家財政を公表したのですが、意に反して、国王が攻撃の対象になってしまったのです。

ネッケルの会計公表により、強い批判を受けることになったルイ16世は、1781年に、ネッケルを一旦罷免します。しかし、フランス市民の圧倒的な後押しを受け、ネッケルは7年後の1788年に財務長官に復職します。

その翌年の1789年、ルイ16世が再びネッケルを罷免してしまうと、パリの市民たちは激怒しました。当時、ルイ16世は、貴族と聖職者の税負担を求めようとしていました。

しかしパリの市民たちの怒りはすでに抑えようがなく蜂起に発展するのです。

こうしてフランス革命が起こったのです。

大村 大次郎 元国税調査官

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おおむら おおじろう / Ojiro Omura

国税局に10年間、主に法人税担当調査官として勤務。退職後、ビジネス関連を中心としたフリーライターとなる。単行本執筆、雑誌寄稿、ラジオ出演、『マルサ!!』(フジテレビ)や『ナサケの女』(テレビ朝日)の監修等で活躍している。ベストセラーとなった『あらゆる領収書は経費で落とせる』をはじめ、税金・会計関連の著書多数。一方、学生のころよりお金や経済の歴史を研究し、別のペンネームでこれまでに30冊を超える著作を発表している。『お金の流れでわかる世界の歴史』は「大村大次郎」の名前で刊行する初めての歴史関連書である。近著に『税務署対策 最強の教科書』『「土地と財産」で読み解く日本史』。

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