18世紀イギリス・フランスでの悪税と脱税事情 なぜイギリスの古い家には窓が少ないのか?
イギリス国民に猛反発された暖炉税の徴収は困難を極めました。
地域ぐるみで暖炉税の徴税に反抗するところもあり、徴税役人が殺されてしまう事件まで起きています。また暖炉税が免税となる「貧困証明書」が不正に発行されるケースも相次ぎました。「貧困証明書」は教会などが発行していたのですが、よくその人の経済状況を調べずに簡単に発行したり、貧困証明書を販売する教会まで出てきたのです。また暖炉を覆い隠してしまうというような脱税方法も非常によくありました。
貴族の脱税を阻止しようとして処刑されたルイ16世
フランスの国王というと、「絶対王政」という言葉でも知られているように、絶大な権力を握って民衆を虐げてきたというような印象があります。
が、実は、フランスの国王というのは、それほど強大な権力も、莫大な財産も持っていませんでした。それどころか、歴代のフランス国王は、破産さえ何度もしているのです。これは、ヨーロッパのほかの国王も同様でした。
なぜフランス国王が何度も破産に追い込まれたのかというと、ざっくりいえば財政基盤が弱かったからです。
フランスでは聖職者(教会)や貴族が、強い力を持っていて、彼らは国家に対する税金が免除されていました。当時のフランスの人口は2300万人とされています。そのうち聖職者は10万人でしたが、聖職者の土地は全国の10分の1に達していました。彼らには特に税金は課せられておらず、自分たちで決めた金額を国に納付するだけでした。
また貴族は40万人足らずとされていましたが、フランス国内の90%の富を独占していたともいわれています。
つまり当時のフランスは、聖職者と貴族以外は、スカスカの状態だったにもかかわらず、国王は税金を徴収し、他国との戦費などを確保しなければなりませんでした。
革命前のフランスでは、「タイユ税」という税金が民衆を苦しめていました。タイユ税は、土地税と財産税の性質を持つもので、イギリスとの百年戦争(1337〜1453年)のときに設けられました。戦争中の特別税として徴収されていたのですが、戦争後も廃止されず、フランスの主要な財源となったのです。
このタイユ税は、当初は土地だけにかけられており、現在でいうところの「固定資産税」のようなものでした。が、それだけでは税収が足りないために、財産に対しても課せられるようになりました。徴税役人が各人の財産を査定し、課税するのです。そして、課税対象者の多くは、農民でした。
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