"絶対"を否定する「ニーチェ」が現代人に刺さる訳 19世紀に「多様性の時代」到来を予言した哲学者
ニーチェは演技をするのが好きで、ルー・サロメ(※)と友人と3人で写っている有名な写真には、馬車に乗っているサロメが、ニーチェともうひとりの男にムチを向けている姿が写されています。
※ルー・アンドレアス・サロメ(1861~1937年)。“ザロメ”と表記されることもある。ロシアの将軍の娘として生まれ、著述活動のほか、フロイトに師事し、精神分析家としても活動した
この写真は、ニーチェがポーズを提案して、わざわざ撮影したものなのですが、その意味でも、ニーチェは非常に遊び心があって“本当の私”とか“本当の人格”といった発想がなく、その場その場での仮面を楽しもうとするのです。
逆に、いろいろな形でキャラクターを変えながら、“本当の私”をわかってほしいと言う人がいます。それは、せっかくニヒリズムだとか、多様性の時代だとか言っておきながら、自分に関しては多様性のないものを求めているわけで、せっかくニーチェが予言した路線に乗りながら、ニーチェ以前の発想を繰り返そうとしていることになるのです。
現代人の考え方の基礎を作ったニーチェ
あらためて“哲学者”としてのニーチェの魅力を考えましょう。なぜ今ニーチェが語られるかというと、もちろん人気があるからというのも1つですが、おそらく現代人の考え方の基礎を作ったのがニーチェであるというのが大きな理由になります。
私たちはほとんど意識することなく、ニーチェの考え方を受け入れて生きているのではないかと思えることが少なくありません。例えば、「この世に絶対に正しいものはあると思いますか?」とか「この世に絶対に良いというものはあると思いますか?」「この世に絶対美しいものはあると思いますか?」といった質問に対して、ほとんどの人は「そんなものがあるわけないじゃないか」という反応を返すと思います。
この考え方を最初に打ち出した人がニーチェであり、それによってニーチェが世界的に受け入れられ、人気がある理由の1つになっているのです。
「絶対にこれが正しい」とか「絶対にこれが美しい」なんて言葉に対して、私たちはシニカルな、ちょっと醒めた目で反応します。そして「絶対に正しい」とか「絶対に美しい」という言葉に対しては否定的です。それとは逆に、「人それぞれの正しさがある」とか「人それぞれの考え方がある」とか「人それぞれの美の基準がある」といったほうが受け入れやすいかもしれません。これを理論的な形で打ち出したのがニーチェなのです。
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