戦時下の東京、ひたすら勉学に励んだ 「六本木の赤ひげ」アクショーノフさんを悼む②

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アクショーノフさんは学長の指示を几帳面に守り、1年間、授業を無遅刻・無欠席でがんばり通し、無事進級した。

戦争が激しくなるにつれ、友人は次々に地方へ疎開していった。そんな中でも、アクショーノフさんは東京で何とか暮らしていけた。酒、タバコは一切やらず、倹約したからだ。

特に助かったのは、肉屋が日本人の食べない牛の脳みそ、心臓、シッポなどをくれたことだ。骨ももらってきて、スープを作って飲んだ。また、酒やタバコの配給券と牛乳を交換し、ヨーグルトをつくって食べた。これで食費がだいぶ浮いたことは間違いない。

当時、憲兵は日本在住の外国人を監視していたが、アクショーノフさんは憲兵に同情されていたらしく、「映画に外国人役で出てくれ」と、エキストラを世話してくれた。身長が高く、英国人やアメリカ人に似た甘いマスクだったので、たちまち映画の人気者になり、出演本数が増えた。映画はいずれも陸軍省宣伝部が戦意高揚のために制作したもので、アクショーノフさんの役は日本人の敵役だった。「重慶から来た男」「マレーの虎」「ハリマオ」などの映画では主役級の役がつき、かなりの報酬をもらった。

米兵のジープに乗せられた

1945年8月の終戦で、アクショーノフさんの生活もがらりと変わった。戦時中の重苦しい雰囲気が消え、庶民に明るさが戻っただけではない。外国人に対する様々な規制が緩和されたのだ。

米軍の上陸は8月30日、マッカーサー連合国最高司令官の厚木飛行場到着と同時に行われた。この日、アクショーノフさんは、国防色の半袖シャツを着て厚木に出かけた。海兵隊が上陸用舟艇を並べて接岸、陸上に進んでいくのをながめていると、突然米兵が乗ったジープが3台、近づいてきた。そして何も言わずにアクショーノフさんをジープに乗せると軍の本部に連れて行った。長身で、国防色のシャツ姿だったので、米軍兵士は、「日本軍の捕虜になった米軍人がいる」と思ったらしい。

アクショーノフさんが指揮官に事情を話すと、日本語の得意な白系ロシア人を呼び出してくれた。その人たちの口利きで米軍で働くことができるようになった。

飯島 一孝 ジャーナリスト、上智大学講師

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いいじま かずたか / Kazutaka Iijima

1948年長野県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒。71年に毎日新聞社入社。社会部、外信部などを経て91年からモスクワ特派員、95年モスクワ支局長。97年帰国し東京本社編集局編集委員、外信部編集委員、紙面審査委員会委員長などを歴任。2008年に定年退職。現在、上智大学・東京外国語大学・フェリス女学院大学の各講師。著書『新生ロシアの素顔』(毎日新聞社)、『六本木の赤ひげ』(集英社)、『ロシアのマスメディアと権力』(東洋書店)などがある。

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