気持ちを前向きに変える「孤独」との向き合い方 人は皆一人で生まれ、一人で死んでいくもの

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

社会の中で生きている以上、人は完全なる孤独では生きていけないというのが実情だと思います。どんなに人とかかわりを持たずに生活しようと思っても、周りを見渡すと、さまざまな日用品から利用する便利なサービスまで、すべて人の手が掛かっているものです。

実は、顔も名前も知らない方々の存在なくしては自分の生活は成立しないことに気が付くことができるのではないでしょうか。その意味では、人は完全に孤独で生きるということはできません。

しかし、人には一つだけ完全なる孤独が成り立つことがあります。それは自分の人生を歩むということです。これだけは、誰も介入できないことです。

『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』という経典に「独生 独死 独去 独来」という言葉があります。「独り生(しょう)じ独り死し、独り去り独り来(きた)る」と書き下し、これはそもそも人間とは生まれてくるのも独り、死ぬのも独りなのだということを教えてくれています。

孤独をごまかそうと楽しいふりを……

人は皆それぞれ一人で生まれ、一人で死んでいくものです。生死(しょうじ)という人生を歩むのは自分自身でしかなく、人は自分に与えられた人生を歩むということでは、本来独りぼっちなのです。

当然のことと言えば当然なのですが、それを多くの人が忘れているというのが実情ではないでしょうか。もしかすると、人はあえて気が付かないふりをし、孤独をごまかそうと何かとかこつけて、楽しいふりや充実しているふりをしているということもあるのかもしれません。

そういう意味では、孤独を望むということは、自分に正直になろうとしていると考えられないでしょうか。周りにふりまわされたり、人と比較して一喜一憂するような生き方から、孤独という、人として本来の姿に目覚めようとしているのだと思うのです。

一見、孤独を望むことは「物事に悲観的になってしまう」「周りに対して閉鎖的になってしまう」など、ネガティブに受け止められそうですが、実はその逆のポジティブな部分もあります。例えば、気持ちがむしろ楽になったり、物事が面白く感じられるようなったりすることもあります。

それは自分と正直に向き合い、人は元来孤独であると受け止めることができれば、この世の中は「虚仮(こけ)」だらけだと、気が付くことができるようになるからです。

「虚仮」とは、一般的には「思慮、内容などが浅いこと」「深みのないこと」「愚かなこと」「ばか」「まぬけ」というような意味として理解されていますが、実は仏教用語で元来「真実でないこと」「外面と内心とに相違があること」を意味します。

次ページプラスに転換する考え方とは?
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事