「エア ジョーダンⅠ」40足持つマニアが語る魅力 ナイキ製スニーカーの沼にハマった理由とは?

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「LL・クール・Jがデビューアルバムの裏ジャケットで、真っ黒コーデに赤×黒色のエア ジョーダン Iを合わせており、そのスタイルに強い影響を受けました。また、スパイク・リー監督の映画『ドゥ・ザ・ライトシング』を繰り返し観て、エア ジョーダンを大事にする黒人文化が存在することなど、単なる運動靴を超えたディープなスニーカーカルチャーを知ることで、より深みにハマっていったのです」

趣味が高じてレポートまで作成した学生時代

中野さんが大学時代にまとめたという渾身の『復刻スニーカーレポート(全11ページ)』。ビースティボーイズのビデオジャケットをあしらった表紙デザインに、ストリートカルチャーとスニーカーの関係性を特に重視した中野さんの姿勢がうかがえます(写真:LEON編集部)

その後もクラブ通いとスニーカー趣味は継続して深まっていったと語る中野さん。当時通っていた大学の広告・マーケティング系ゼミにおける事例研究として、復刻スニーカーをテーマにリポートを自主製作するなど、単なる趣味を超えたレベルにまで高まったと振り返ります。

「当時のヒップホップアーティストたちが選ぶスニーカーの分析に始まり、それを踏まえた国内店舗でのスニーカー販売に関する追跡、そしてナイキジャパンにまで取材を敢行したリポートは、今見ても『よくやったなぁ』と感じる出来栄え(笑)。

このリポートを提出した1994年は、復刻スニーカーのブームが一段落した後の変換期でした。いろいろと調べることで、その後につながる多くの発見があったことを今も覚えています」

大学を卒業しバーニーズニューヨークに入社した中野さん。晴れてアパレル業界の中の人となった当時は、スニーカーから少々距離を置いた時代とのこと。しかしあるきっかけから、スニーカー熱が再燃したと言います。

中野さんのコレクションその一部をご紹介いただいた(写真:LEON編集部)

「世界的な規模を持つショップのスタッフとなり、仕事で多くのブランドを知るようになりました。モードデザイナーの靴などを手にすることが増え、スニーカーから少し遠ざかる時期もありました。ただし2000年代後半に自宅を引っ越すことがあり、クローゼットやストックルームの荷物整理をすることで状況は一変。

コレクションのスニーカーをあらためて手に取り、また履いてみようという気分が盛り上がったのです。ただコレクションの多くは、加水分解や経年劣化によりジャンク状態になったものも。しかしエア ジョーダン Iやダンクなどのナイキ製スニーカーは、しっかり実用レベルをキープしており、あらためて『スゴい!』と思わされました」

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