しかし、実際には連日の記者会見で、紫外線がウイルスを不活化するという専門家の発表を受け、「体内に紫外線を当てたらどうか」と発言したり、「消毒液を注射したらどうか」などと言ってしまったりして、これを真に受けた人たちが家庭用の消毒液を飲んで救急車で運ばれるという騒動に発展した。
こんなニュースを見聞きしていた者としては、アメリカは新しい感染症によるパンデミックへの備えがまったくできていなかったという印象を受けていたのだが、マイケル・ルイスの新作で、そうではなかったことを認識した。アメリカには、以前から来るべきパンデミックに備えようとしていた人たちがいたのだ。
物語の「意外な」始まり方
マイケル・ルイスは、そんな人たちの人生を一幕のドラマとして私たちに読ませてくれる。「はじめに」でルイスは、「わたしはふだん、題材のなかに物語を見いだすことが自分の仕事だと考えている」と書いている。その通り、ここには実に多くの物語が詰まっている。
こういうノンフィクションを書く場合、アメリカで新型コロナウイルスの患者が発見されたところから書き起こすのが定番ではないだろうか。私なら、そうする。ところがルイスは、そうではない。2003年のある日、ニューメキシコ州アルバカーキの13歳の少女の発見から話が始まる。
読者は戸惑うだろう。このエピソードが、どうしてコロナ禍との戦いにつながっていくのか、と。
次に登場するのはカリフォルニア州サンタバーバラ郡の保健衛生官の医師だ。彼女の奮闘ぶりを描くことで、読者は地方の保健衛生官の仕事を理解する。これが伏線となって、やがてアメリカという大国の保健衛生システムが機能していない実態を理解することができるのだ。
この本の終盤になって、コロナ禍を終息させるための戦略として、アルバカーキの13歳の少女の好奇心が役立つことになった顛末が語られる。優れた推理小説は、巧みに張り巡らされた伏線を、どうやって回収していくかという手腕にかかっている。この書は、そんな推理ドキュメントとして読むことも可能だろう。
アメリカのコロナ対策は失敗した。将来の危機に備えることがいかに想像力を必要とすることか、わかろうというものだ。それでも全米各所に想像力に富み、行動力のある人材がいることが、アメリカという国家の強みであることを知る。
しかし、にもかかわらず、そうした備えが、次の世代に継承されていないこと。ここにアメリカの弱点がある。政権が交代すると、アメリカのホワイトハウスのスタッフは総入れ替えになるからだ。
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