「大根役者だった」西田尚美が名女優になった原点 映画やテレビの世界で活躍を続けられる秘密
樋口 同級生のすすめで事務所に入って、雑誌でもレギュラーになって、やっぱり「美は発見されます」ね。そこから、あっという間にテレビドラマに出演されるまでになりましたね。
西田 全然、「美」じゃなかったですけどね(笑)。その時たまたま、モデルから女優っていう流れが流行っていたんだと思います。はじめは、女優に興味なくて怖い世界と思っていたし、やりたくなかったけど、マネージャーさんが絶対やるべきって。最初のオーディション現場に知り合いのモデルの子がいて、この人がいるなら大丈夫かもって思ったんですけど、合格したらその人はいなかったんです。
一同 笑
樋口 モデルから俳優になるのってハードルが高そうに思えるんですけど、どうでしたか?
西田 ホント大根役者で、現場でいつも「ちゃんとやれ!」って叱られて、ダメダメな感じ満載でした(笑)。だから初めのうちは、嫌になったらいつでも戻れる場所がある、戻ればいいって、自分の中でそういう場所を確保しながらやってました。でも、次第にできないのは嫌だと思うようになって。それで続けてこられたんだと思いますね。
樋口 意外に負けず嫌いだったんですね。
西田 そうですね(笑)。
樋口 菅原文太さんも、元はファッションモデルだったんですよね。岩手のインテリお坊ちゃんで早稲田大学に入ったら、手足が長いからって写真のモデルにスカウトされて。俳優になって、戦争から帰ってきた人たちの現場に行ったら、使えないって顔とかボコボコにぶん殴られて、なんで俳優の顔を殴るんだこの人たちは!?ってカルチャーショックを受けたらしいです。
西田 そうなんですか。全然知りませんでした!
樋口 だから、ファッションモデルからここまでになったのは、菅原文太さんと西田さんだけですよ。
西田 そんなことないですよ(笑)。
矢口史靖監督との出会い
樋口 西田さんの初期の作品で、僕の中で印象的だったのが、矢口史靖監督の映画『ひみつの花園』(97年公開)です。短大卒の平凡な銀行員が銀行強盗に巻き込まれて、思いもつかないストーリーが展開されていくという、ひと筋縄ではいかない巻き込まれ系映画ですよね。
西田 ありがとうございます!
樋口 西田さんは矢口監督の作品に多く出られていますよね。矢口監督は、無名の若手俳優を使ってブレイクさせていく人って印象が強いですよね。あの映画ではどんな演出があったんですか?
西田 『ぴあ』と東宝が手を組んで若手の監督を育てるという、低予算のプロジェクトだったんです。最初監督にお会いして、モノローグを読んでと言われて読んだら「違う! そうじゃない!」って言われて。「何も考えなくていい。そんな感情を入れる必要ない」って、全部排除されて演じた感じでした。