性的虐待問題に揺れるカトリックの時代錯誤--イアン・ブルマ 米バード大学教授/ジャーナリスト

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 カトリックはプロテスタントよりも偽善に対して寛容である。プロテスタント主義の台頭はカトリックの偽善に対抗する意味もあった。厳格なプロテスタントは、自分たちは神と直接的なパイプラインを持っていると信じているため、情け容赦のない率直さで告白を行う。

一方、カトリック教徒は神父に告白はするが、神には告白しない。カトリック教徒にとって、適切な儀式が順守されるかぎり、罪は償うことができるものなのだ。これが、バチカンが聖職者の子供に対する性的な行為を、犯罪ではなく、罪と解釈することを選んだ理由である。

だが、こうしたことは自由な世界では続かないだろう。それは宗教の世俗化が人々の道徳性を破壊したからではない。民主的な社会における権力は特権的なものではなくなり、人々は偽善に対してかつてのように寛容ではなくなったからである。その結果、宗教的な独身の誓いが時代錯誤になってしまったのだ。

この問題に対する解決策、あるいは改善策はある。それは、教会が神父に結婚を認めるか、大人同士の同性愛関係を認めることだ。しかし、ベネディクト法王は宗教上の教義に関して厳格な保守主義者であり、そうした考えを支持するとは思えない。法王は、世俗社会の悪魔とリベラリズムの危険な誘惑に対抗するようにこれからも説教を続けるだろう。

だが、それは問題の解決にはならない。なぜなら肉体は性欲に対して弱いものであり、性欲を満たすための道を見つけ出すものだからだ。法的に禁止することができないなら、自分を守ることができない子供たちに対する犯罪は続くだろう。

Ian Buruma
1951年オランダ生まれ。70~75年にライデン大学で中国文学を、75~77年に日本大学芸術学部で日本映画を学ぶ。2003年より米バード大学教授。著書は『反西洋思想』(新潮新書)、『近代日本の誕生』(クロノス選書)など多数。

(週刊東洋経済2010年5月1日・8日合併特大号)

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