「死について考えない」日本人を待つ壮絶な最期 過剰な医療が患者の穏やかな死を阻んでいる

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どんな医師に最期を診てもらうかを、元気なうちから考えておければいいですね。在宅医療に関する本や雑誌もたくさん出ています。どんな選択肢があるのか、自分はどんなふうに最期を過ごしたいのか、元気なうちからある程度でも考えておきたいですね。

自分の「最期」のあり方を考える

──患者が「リビングウィル (終末期医療における事前指示書)」を書くというシーンも出てきます。延命治療を含め、どこまで医療を受けるか受けないかについて書面にするというものですが、実際、元気なうちに家族とそういったことを話し合うのは難しい気もします……。

もちろん難しいですよ。私も自分の母親に最後期はどうしたいかと聞いたらひどく怒られましたね。「親に縁起が悪いことを聞くものじゃない!」ってね。

でも、そういう人にこそ、今回の映画を見てほしい。本作はあくまで1つの物語で、みんな同じではありません。でもそれをきっかけにご自身の最期を考えてもらえたら。誰もがリビングウィルを書くべきと言っているわけではなく、あくまでひとつの提案です。

現実は患者さん自身もご家族も日々思いが揺れて、考えも刻々と変わります。また患者と家族と医者の思いはたいていの場合は三者三様なので、すれ違ったり葛藤の連続です。

医師は自分の意見を押し付けるのではなく、その揺れる思いに伴走する存在であるべき。どんな人生を送ってきたか、最期までどんなふうに生きたいかを時間をかけて話し合ってくれる医師を探すことが大切です。映画に描かれている世界は、私のチームの日常なんです。この物語と同じことを、毎日やっている。

──平穏に死ぬということは、最期までその人らしく生きられるかということでもありますね。

そのとおりです。だから平穏死といっても簡単にマニュアル化できるものじゃない。映画で宇崎竜童さんが詠んだ川柳が大きなヒントになるはずです。あの川柳は、実際は、高橋伴明監督がすべて作ったものだけど。あの一句一句をかみしめてほしいですね。

自分の死についても家族の死についても、考えるのが怖い、考えてもしょうがないという人がいるけれど、少しでも考えておけば、その人なりの準備ができるはず。もちろん、どんな病にかかるかも、今日どんな急病が起きるかもわからないですから、完璧な準備などありません。でもこの映画をしっかり見て自分なりに考えておければ、少なくとも「こんなはずじゃなかった」と悔やみながら死ぬことはないでしょう。

玉居子 泰子 編集者、ライター

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たまいこ やすこ / Yasuko Tamaiko

1979年生まれ。東京外国語大学卒業後早川書房に入社。主に翻訳書籍の編集を行う。 2005年にベトナムに移住すると同時にフリーランスに。編集・翻訳・ライター業のほか企業通訳を務める。2007年帰国後もフリーで活動を続ける。テーマは、育児・教育、妊娠・出産、育児の悩み、家族のコミュニケーションなど。主な寄稿先は『AERA』、『東京人』、『クーヨン』、『FRaU』、日経DUAL、JBpress、soar-worldなど。過去の仕事一覧はこちら
 

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