「死について考えない」日本人を待つ壮絶な最期 過剰な医療が患者の穏やかな死を阻んでいる

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

──医学発達のために平穏死ができないとは。

明らかに終末期に入っていると考えられる患者さんの場合でも、治療をしようと思えばどこまでも医療が介入できる状態にある。例えば「ドクターX」のようなドラマがはやるでしょう。「絶対失敗しない」スーパードクターが人気で、実際に“名医”と呼ばれる医師がメディアで取り上げられて、死にそうな人をある程度よみがえらせてくれることもある。

「医療にかかわればいつまでも生きられる」という治療信仰が強くなっているように感じます。でも、人は誰でも死ぬものです。医療の発達に伴い、「終末期」がどこにあるかが医療者にも見極められなくなってきて、曖昧になってきていることが問題なんです。

「枯れる」ように死ねれば「鎮静」は必ずしも必要ない

──映画の中で、宇崎竜童さん演じる末期の肺肝臓がん患者が登場します。病院で点滴など多くの治療を受けてベッドに縛られるのが嫌で、自ら在宅医療を希望します。病院医療と在宅医療の大きな違いはどこにありますか。

同じ病名であっても、その人の年齢や進行具合によって、また個人の状態によって当然異なりますから、どういった医療がその人にとっていいのか、明確な正解はありません。

長尾和宏(ながお・かずひろ)/
1958年生まれ。香川県出身。1984年に東京医科大学を卒業後、1986年から大阪大学医学部附属病院で診療と研究を行う。1995年に長尾クリニックを開院。1999年に医療法人社団裕和会長尾クリニックに移行し、理事長に就任する。現在、兵庫県尼崎市の長尾クリニックにて多くの看取りを行う。日本慢性期医療協会理事、日本ホスピス在宅ケア研究会理事、日本尊厳死協会副理事長関西支部長、全国在宅療養支援診療所連絡会理事など多くの団体、医学会、大学の理事を務める(撮影:ヒダキトモコ)

しかし、例えば今回の映画で取り上げたような末期がんの人の場合、死に向かうまでにいくつか段階があります。どこで医療の手を緩めていくのか、抗がん剤治療のやめ時はいつかなど、医療者側からもっと意識するべきだと思います。

病院では、最後期まで積極的に治療をしますが、それが本当に患者さんの利益となっているかどうか……。

例えば、本当に末期の方の場合、過度な点滴や栄養剤は不要どころか苦痛を増すだけです。終末期の脱水を許容すると、やせて枯れていきます。脱水を自然なこととみて上手に見守ることができれば、大きな苦痛を伴わずに穏やかな最後期を迎えることはできるんです。そういうことを、私たちの在宅医療チームは日常的に行っています。

──「上手に枯れる」とは? 最近では、モルヒネなどの医療用麻薬を使用しても激しい痛みを取り除けない場合、鎮静薬を使って眠らせた最期を迎える方法もあると聞きます。長尾さんのいう「自然に枯れる」最後期の迎え方と、それとは異なるのですか。

自然に枯れることができれば鎮静はほぼ必要ありません。脱水が自然の麻薬の役割をするのです。しかし、こんな単純な事実は医療界でほとんど知られていません。2020年、私のチームで、在宅で看取った方は140人ほどいらっしゃいましたが、鎮静を行って看取った人はゼロです。しかし、ある大病院では鎮静率が50%を超えるという。もちろん鎮静剤が必要な場面もあるでしょう。しかし、平穏な死を迎えるために脱水さえあれば、鎮静を行う必要はほぼないことがわかっています。

次ページ過剰な医療行為が患者を苦しませる
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事