「もう行きません」15歳少女が学校と決別した訳 不登校を「重く考えない」という選択
ただ、頭のなかで思っているだけではなんにもならないですよね。「不登校に関する活動って何かあるのかな?」と、ネットで調べて出会ったのが『不登校新聞』でした。記事をいくつか読んでいくうちに「子ども若者編集会議」があることを知り、不登校について意見交換ができそうだし、編集や文章の仕事に興味があったので参加することにしました。
関わってみたら楽しくて、記事を書くことも少しずつチャレンジし始めています。ただ、考えていることはたくさんあるけど、何をどうやって発信したらいいのか悩みます。
「不登校」も選択の1つ
編集会議では私と同じように学校へ行っていない人や過去に不登校だった人と話してきました。そこで感じたことがあります。不登校を、「長いあいだ自分についてまわるマイナスの経験」と捉えている人もいる、いうことです。
私の場合は学校や人間関係にわだかまりがないし、今が楽しいので気にしていないつもりですが、不登校にはやっぱり逃げや甘えのイメージもあるみたいです。でも私は「不登校を重く考えなくてもいいんじゃないか。選択の1つと捉えてもいいのではないか」とも思うんです。
選択できるって大事なことではないでしょうか。選択を認めることは個人を尊重することだと思います。だから今やりたいと思っているのは、不登校が選択の1つと捉えられるような、「不登校の手引書」をつくることなんです。
不登校になるかもしれないというときも、なった直後も、学校や親・友だちとの関係などがどうなってしまうのかわからなくて、不安ですよね。でも、不登校になったあとのことがメリット・デメリット含めてまるごとわかる、パンフレットのようなものがあったらどうでしょうか。内容は、不登校の体験談集や、学校へ行くこと・行かないことの違いをまとめたコラムなどをイメージしています。
「不登校のその先」がわかる手引書があることで、学校生活に苦しんでいる人は、「いつでも学校をやめてもいいんだ」と気が楽になるかもしれません。今不登校の人は、「不登校を選択だと受けとめてくれる人がいるんだ」と後ろめたい気持ちが、やわらぐかもしれません。
私だって日々をすごすなかで、不安になることがまったくないといったらウソになります。でもネガティブに考えてもしんどいだけです。「不登校っていう生き方も、まあいいじゃないですか」って自分にもほかの人にも言いたいです。
「不登校になってしまった」と責めるようなイメージを持つのではなく、不登校は個人によって選択してもいいし、しなくてもいいものという認識が、当事者をはじめ社会に広がればいいなと思います。まだ具体的にどうしたらいいのかはわかりません。ただ、私には今時間があります。本を読んだり、自分で文章を書いてみたり、じっくりと自分の気持ちに耳を傾けたりして、具現化していけたらいいな、と思っています。
――ありがとうございました。
(聞き手・本間友美)
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