タクシー運転手になった元社長が切々語ること 幸福も不幸もたくさん経験したけれど・・・

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元社長は、しきりになにかを訴えていた。やり場のない思いを、私に向かってぶつけていた。

うだつの上がらない呑ん兵衛サラリーマンだった父親は、80を過ぎてからがんを患って、いま病院のベッドの上にいる。好きな酒の代わりに、点滴の針を体に入れている。

人生には思い通りにならないことがたくさんある。家族と別れたり、挫折したり、人から蔑まれたり、騙されたり、金が払えなかったり、仕事をクビになったり、ノイローゼになったり、病気に罹ったり。どんなに辛くても人は生きなければならないなどと私は思わないし、生きてさえすればいいことがあるとも思わない。最初から最後まで、辛いことばかりの人生も、たぶんある。

そして、人生で一番思い通りにならないのが、死だろう。どんなに死にたくなくても、いつか必ず人は死ぬ。死ぬのがどれほど怖くても、死は確実に近づいてくる。なぜ、人間は死なねばならないのか。いずれ確実に死ぬのに、なぜ、生まれなくてはならないのか。

なんの答えもない、それでも・・・

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私は、なんの答えも持っていない。なんの答えも持っていないが、にもかかわらず私は、父親に、もう一度だけうまい日本酒を飲ませてやりたいと思わずにはおれない。

元社長は、分厚いノートをダッシュボードにしまい込みとこう言った。

「旦那、来年はいい年にしましょうよ。がんばってさ。来年こそいい年にしようよ」

「はい。いい年にしましょう」

私は、赤いテールランプが闇の中に消えていくのを見送った。

山田 清機 ノンフィクション作家

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やまだ せいき

1963年富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』『東京湾岸畸人伝』(いずれも朝日新聞出版)がある。

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