誰もが驚愕する医学史上の「とてつもない失敗」 「手を洗おう」と呼びかけた医師の哀れな最期
紀元前460年頃になると、古代ギリシャから傑出した人物が登場する。コス島のヒポクラテスは、それまでの呪術的な医療から、病気を区別することを試み、「歩くことは最良の薬」だとするライフスタイル・メディスンの考え方や、医療倫理の概念も導入した。
「患者の利益になることを考え、危害を加えたり不正を行う目的で治療することはいたしません」などのギリシャの神々への宣誓文で知られる「ヒポクラテスの誓い」は、現代では「ジュネーブ宣言」として文言を変えつつ、2500年後の医療従事者に継承されている。
古代ギリシャからは、ほかにも動脈と静脈を区別し、脳が知性の中心であることに気づいたはじめての解剖学者・ヘロフィロスとガレノス、心臓がポンプであることに気づいたエラシストラトゥスなどの医学者が登場する。
中世にかけては、アラブの学者らが中心となり、ヨーロッパとアジアの医療知識が融合することで医学をあたためていった。やがて、現代医学を支える3つの柱が生まれる。
(2)イギリスの政治家フランシス・ベーコン(1561〜1626年)が、知識と理論は、既知の真実に基づくのではなく、明白に立証可能で絶えず再評価できる事実に基づくべきであるという「科学的手法」を明示。
(3)オランダのアントニ・ファン・レーウェンフック(1632〜1723年)が、自ら製作した顕微鏡で、細菌など微小生命体の世界の扉を開く。
こうして、数多(あまた)の試行錯誤が活発化し、医学はさらに発展する。
はじめての「手を洗おう」は無視された
新型コロナ禍において、世界中の人々が手洗いと消毒を励行しているが、実は、不潔な状態と感染との関係が発見されるまでには、驚くほど長い時間がかかった。
古代から、病気は目に見えない「種子」によって運ばれると示唆し、現代の理解に近づいていた医師もいたのだが、17世紀に顕微鏡が発明されるまでは、それを立証するだけの知識が存在しなかったのだ。
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