早朝から外をウロウロ「放置子」の深刻な実態 専門家は虐待の一種だと警鐘を鳴らしている

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ーー放置子に悩む人は少なくありません。しかし、都心部に住む人からは「放置子をあまり見ない」という声もあります。

放置子については、数が少なすぎること、対象を把握できないことなどから調査はされていません。そのため、あくまで私の体感なのですが、放置子は都市部の方が目立つかもしれません。

都市部かそうでないか問わず、親としての責任感が薄い層は一定数います。さらに、都市部では地域縁も弱いといえます。そのため、経済的に豊かであっても、結果的に放置子は都市部でみられやすいかと思います。

また、これも推論の域を出ませんが、放置子は地域性というよりは、社会階層と関係があるように思います。経済的に余裕があれば、子どもをベビーシッターに預けるという選択もあります。中には、育児のほとんどをベビーシッターに任せている人もいると思います。

このような場合は、たとえ親に「親性」(自己を尊重しながら、他者である子どもに対しても慈しみやいたわりをもつこと)が育っていなかったとしても、子どもは「放置子」にはならないでしょう。

もちろん、お金があればよいということではありません。お金では「愛情」を子どもに与えられないためです。

「誰かが見てくれる」話が通じない放置子の親

ーー中には、放置子の親に直接話をしに行ったという人もいます。しかし、ほとんどの場合は改善されないようです。「虐待しているわけではないし、誰かが見てくれるから別にいいでしょ」と言われた人もいます。

子どもの親に話をしても、なかなか難しいかもしれません。もし、話をして改善される相手であれば、実家や学童などに預けるなど、そもそも最初から子どもをほったらかしにすることはないように思います。

深谷野亜(ふかや・のあ)/松蔭大学コミュニケーション文化学部准教授・松蔭大学学生相談室長。明治学院大学非常勤講師。子ども支援士。 1967年、宮城県生まれ。明治学院大学社会学部卒、上智大学大学院教育学専攻博士後期課程満期退学。共著に「こども文化・ビジネスを学ぶ」(八千代出版)「日本の教育を捉える」「育児不安の国際比較」(学文社)ほか。

私が見聞きしてきた限りでは、放置子の親には大きく3つのケースがあるように感じています。

第1に、社会が親性を育むことに失敗していることに起因しているケースです。

近年の学校教育では「自分のための教育」に重きを置きがちであり、多少自分を犠牲にしても他者のために、という意識を社会が形成するのが弱い傾向にあります。

自分のための教育を受けた人が、自分の時間やお金などを犠牲にしても「子どものために」と他者のための人生にシフトするのが難しい時代だといえるのではないでしょうか。

このようなケースの場合、親は自分のことしか見えておらず、子どもよりも自分が大事になってしまいます。そのため、自分がしたいことをする時間などが奪われることにストレスを感じ、子どもをほったらかしにしてしまいます。

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