「都市封鎖」武漢の作家がつづったあの日の真実

新型ウイルスは中国社会の病巣もあぶり出した

午後はずっと慌ただしく料理を作り、夜、娘のところに届けた。娘は日本へ遊びに行って、22日に帰ってきた。家に着いたのは夜中の12時だった。帰国してすぐに都市封鎖に遭い、家には何も食べるものがない。私は旧暦の大晦日と元日に、少し食べ物を届けた。

数日がたち、娘は「もう耐えられない、テイクアウトの食品を買いに行く」と言い出した。私も娘の父親も、外出に強く反対した。そこで、また私が料理を届けることになったのだ。娘の家は私のところから遠くない。車で行けば十数分で着く。警察に尋ねたところ、通行は可能だという。ご飯とおかずを用意して、配達に行った。まるで、「紅軍に食糧を送る」ような気分だ。団地の中には入れないので、私たちは門のところで受け渡しをした。私の家族の次世代は、娘だけが武漢に残っている。面倒を見てやらなければならない。

門の前は第2環状道路で、普段なら車と人であふれている。しかしいま、車の交通量は少なく、通行人はもっと少なかった。大通りには新年を祝う電飾が見られたが、脇道は店舗が閉まっていて薄暗い。軍人運動会〔訳注:第7回世界軍人運動会が2019年10月に武漢で開催された〕のときには、通り沿いの家々に光の帯が飾られ、点滅を繰り返していた。

「われわれも生活していかなければならない」

あのとき、私は賑やかすぎる光景を見て、少々うんざりしてしまった。だがいまは、ひっそりとした道に車を走らせていると、明るい街灯が心を慰めてくれる。まったく、隔世の感がある。

『武漢日記 封鎖下60日の魂の記録』(河出書房新社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら

小さいスーパーはまだ開いていた。道端には野菜を売る露店もある。私は道端で野菜を買い、さらにスーパーでタマゴと牛乳を買った(タマゴは3つ目のスーパーで、ようやく買えた)。店を開けていて感染が怖くないかと尋ねると、店の人は悠然として、「みなさんと同じで、われわれも生活していかないとならないんでね」と答えた。

そうだ。彼らも私たちも、生きていかなければならない。そういうことだ! 私はいつも、こういう働く人たちに敬服する。ときどき彼らと言葉を交わすと、何とも言えない心の安らぎが得られる。例えば、あの武漢が最も混乱していた数日、外は冷たい風が吹き、雨が降っていた。それでも、がらんとした通りには必ず清掃員がいて、風雨の中で一心不乱に道を掃除していたのだ。彼らを見ると、気持ちが落ち着かない自分が恥ずかしくなる。突然、心が静まるのだった。

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