激痛でも撮った!鉄道写真家の壮絶撮影記録 美しい写真が生まれた背景には壮絶な体験が

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口惜しいことに2012年末の“忘年会肉離れ事件”の半年前の7月にも足の大ケガをしている。これまた某鉄道誌の取材で津軽線を走るED79形交流機関車牽引の貨物列車や「北斗星」「カシオペア」などの寝台特急の撮影をしていたときだ。撮影はおおむね順調で津軽線のお立ち台的な撮影地では撮り終え、どこか新しい撮影地はないかと瀬辺地―蟹田間の林の中の線路際をロケハンしていた。

そこは架線柱から約1m離れたところに雑草に覆われた蓋のない側溝があるのはわかっていたので、万が一を考えてさらに側溝の外側を歩いていた。林が開けた深い草むらに踏み込んだとき、突然体が宙に浮くような感覚になった。なんとそこは蔦草に覆われた天然の落とし穴になっていて、2mの深さはあろう排水用ピットに落下したのだ。ひょっとしたらそこは何年も前に放置された休耕田があったのかもしれない。

左足はピットを覆っていた蔦に絡まったまま膝があらぬ方向に曲がり、右足はかろうじて地面についている状態。体操選手のY字バランスをさらにひねったような異様な体勢だった。とにかく抜け出そうと膝の激痛に耐えながら蔦に絡まった左足を両腕でつかみ、なんとか力ずくで蔦から引き抜いてその場に倒れ込む。

膝前十字靭帯損傷という状態で撮影したED79形牽引貨物列車(筆者撮影)

もがいている中、撮るはずだったED79形牽引貨物列車が通過したときは痛いやら情けないやらで、またもや泣きたくなった。その後ピットから這い上がり、ひとまず蟹田の総合診療所に駆け込んで応急処置をしてもらった。

特に問題ないと言われたので痛みをこらえながらもその後3日間は撮影を続行したが、取材を終えて車で帰宅する頃になると膝は腫れあがり、痛みは増すばかり。たまらず家に着いてすぐ近所の整形外科に行くと「膝前十字靭帯損傷ですね~。全治1カ月です」と診断が下された。撮影に出るのをひたすら我慢する羽目になってしまった。あのときの膝の激痛と頭上を通過したED79牽引貨物列車の音が今でも忘れられないできごとになった。

津軽海峡冬景色で「天下御免の向こう傷」

なんとまあ津軽地方にはお仕事とケガのご縁があるとつくづく思うのだが、またまた某鉄道誌からの撮影依頼を受けた2015年1月下旬、私は寒風吹きすさぶ津軽海峡線を訪れていた。

寒風吹きすさぶ津軽海峡(筆者撮影)

北海道新幹線開業を約1年後に控えた北海道新幹線の建設状況と津軽海峡線の現状を撮影するためだ。津軽海峡線や津軽線沿線を撮影しつつ、あえて冬型が強くなる日を狙って龍飛岬へと向かった。「荒れた津軽海峡冬景色の写真を」という編集長のご要望があったからだ。龍飛岬の観光駐車場に着くと海際に近いだけあって寒風はますます強くなる。ニット製のバラクラバ(目と口だけ開いているフェイスマスク)を被るなど、できる限りの防寒・暴風対策をして断崖の上の津軽海峡が見える場所へと向かった。

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