中国広州・リトルアフリカ現地ルポ--“アジアのブルックリン”現る! 20万人が一獲千金を夢見る街
国別では日本人の約5700人が最多だが、アジア系とは明らかに異なる容姿もあって、アフリカ人の存在感は極めて大きなものになりつつある。
20万人のアフリカ人は、市西部の複数の地域に集中。地域の中国人によるとこれらの地域はもともと、広東省各地のアパレル工場・問屋から吐き出された過剰在庫が売買される「バッタ屋街」のような場所だった。そこへ1990年代後半から中東系の商人が集まり、対アフリカ輸出を手掛け始めた。
この中東商人の役割を近年、アフリカ人が取って代わるようになったのは、06年1月に中国政府が発表した「対アフリカ政策文書」が契機だ。
文書は対アフリカ政策の基本原則を政治・経済・文化などでの互恵関係と位置づけたもの。この文書を受け、資源開発や社会インフラ整備における中国からアフリカへの投資が刺激されたのと同時に、一獲千金を夢見るアフリカ人ビジネスマンの中国への潮流も形作られたのだ。
特に効果があったのは、中国側のビザ発給審査の緩和。あるガーナ商人は「政府や大企業の支援がないかぎり、日本や欧米のビザを取得することはほぼ不可能。だが中国はある程度のカネがあれば間違いなく行けるようになった」と話す。
自国産業の近代化が遅れる中、中国へ渡り安価なモノを買い集め貿易商となることが、アフリカ人にとって最も現実的な成功モデルとなったのだ。
中国製品が支える消費 ニセブランドも横行
ナイジェリア出身のユーゴさんも、チャイニーズドリームを体現する1人。「今晩は埠頭で荷積みに立ち会わないといけない。ゆっくり話す時間はないよ」。携帯電話を片手に、清潔なワイシャツ姿で慌ただしくオフィスに入る様子が、青年実業家然としている。