黒人差別を肯定した「風と共に去りぬ」のヤバさ オスカー受賞でも差別された黒人女優の悲劇
授賞式の会場に使われていたアンバサダー・ホテルは「黒人お断り」で、オスカー受賞ということでさすがに考慮してもらった結果、なんとか彼女はオスカー像を置いておくための裏部屋への入室を許されたのである。
当然、授賞式後のアフター・パーティーにも彼女は参加できていない。
それでも、彼女はひとつの歴史を作った。その映画を永遠に葬ることは、彼女の功績をも否定することである。また、この映画をなかったことにすれば、そういった描写が平気で行われていたこともなかったことにされる。
都合のいい目線の映画が作られ、大傑作だと称えられ、興行成績でもインフレ調整をすれば今も映画史上最高のヒットになった時代があった。その背後で黒人たちが不快な思いをしていることなど、その頃の白人たちはまったく考えもしなかった。それは、“歴史の事実”としてそのまま残しておかなければいけない。
だから、リドリーも意見記事の中で提案しているように、この映画は作品自体には手を加えず、説明書きを付けた形で配信するのがいいと思う。
本編が始まる前に「今作は当時のフィルムメーカーらの視点で語るものであり、我が社の価値観を表明するものではありません」とお断りを出し、映画の後には識者のインタビュー映像などを付けるのだ。
その際は、リドリーに出演してもらうのもいいだろう。奴隷制度についての実話を描いた『それでも夜は明ける』でオスカーを受賞し、ロサンゼルス暴動に至るまでの10年を語るドキュメンタリー『Let It Fall: Los Angeles 1982-1992』を監督した彼は、その役割に最もふさわしい人だ(余談だが、リドリーは1989年か1990年ごろ、日本に住んだことがあり、日本語も少し話せる。筆者が「日本で一番覚えていることは何か?」と聞くと、「たこ焼き」と答えてくれた)。
「アメリカが良かった時代」の欺瞞
今後、HBO Maxは何らかの配慮を加えたうえで同作を再配信する予定だ。その際には「面倒くさい時代になったものだ」という声も聞こえてくるに違いない。
しかし、これからますます同様のことが増えていくのだから、映画関係者や観客はそれを受け止める覚悟をしておかなければならない。一方的な視点が許された時代はもう終わったのである。
それを無視して突っ走ろうとするのは、トランプがアメリカを60年か70年前に引き戻そうとするのと同じことだ。トランプのいう「アメリカが良かった時代」は、有色人種や女性、同性愛者にとっては、決してそうではなかった。成熟した社会を実現するには、すべての方向に耳を傾けなければいけない。『風と共に去りぬ』の価値を見直すというのは、つまりは、そういうことなのだ。
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