京急の駅名変更、「葉山」追加はイメチェン狙い? 認知度アップで誘客強化、「密」回避の課題も
葉山は味の素の創業者、二代鈴木三郎助の出身地でもある。母ナカがこの地の海岸で採れた海藻の「かじめ」を焼いてヨードを製造する事業を始めた。のちにうま味調味料の工業生産化で成功を収めた二代三郎助の名は現在、川崎市の味の素グループ工場がある京急大師線「鈴木町」の駅名にも残っている。
その長男、三代三郎助(味の素会長)が、現在京急グループが運営する「葉山マリーナ」を設立した。プール、ホテル、ボーリング場などの施設が1964年7月に完成。東京五輪のヨット競技の審判員宿舎としてホテルの全室を提供した。三代三郎助はこのころ京急の社長、会長を務めた人物でもある。
半世紀前にも「水着列車」
2016年7月、京急が電車の車内で水着のファッションショーを開催する貸切列車「マーメイドトレイン」を品川―三浦海岸間で運行して話題になった。だが、実はその半世紀以上も前の1962年6⽉19日、品川10時10分発の夏季臨時特急「青い海岸号」の車内で、水着ファッションショーとミス・コンテストを開いた記録がある。行き先は逗⼦海岸駅だ。
当時の社内報には「出場者を上回る報道陣がつめかけ、⾞内はごつたがえした」「停⾞駅ではホームの⼈たちが驚きの目を向けていた」との記述がある。記事は「その結果、一二名の“ミス青い海岸”が誕生。逗子海岸駅からバスを連ねて油壷へ……。二時間余り水辺に楽しんだのち、浦賀を経て品川で無事解散となつた」と締めくくる。
久里浜線の三浦海岸駅が開業する4年前の話で、高度経済成長のこの時代、マリンレジャーの大衆化を追い風に逗子は三浦半島の海への玄関口として大いににぎわっていた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら