原発事故9年、吉田所長の宿命と旧経営陣の無罪 東電刑事裁判の傍聴取材を続け見えたこと

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ならば、当時の原子力設備管理部長の吉田はなぜ、わざわざこんな発言をしたのか。

吉田をよく知る人物によると、吉田は商売人気質のところがあって、賢く直感の働く人物だったという。

だから、15.7メートルという数値を見たときには、危機感を抱いたはずだ、と推察する。信頼できない数値なら自分のところで止めて、上に報告なんてしない。御前会議でいい加減なことを言うはずもないし、吉田にしたら”なにかあったらどうするんですか”ということを消極的な姿勢で示したのではないか。

だが、それは見方を変えれば、自らが抱いた危機感を経営陣に丸投げすると同時に、責任を転嫁しようとしたともいえる。

その”なにかあった”ときに、矢面に立たされてしまったのが吉田だった。彼は2010年6月から福島第一原発所長として赴任していた。

後悔先に立たず、とはいうが、事故処理にあたりながら、吉田には過去の出来事も脳裏をよぎったはずだ。

どこかの場面でもっと強く進言し、安全対策をとっていれば、津波被害はもっと違っていたはずだ。事故処理を巡って英雄扱いされる向きもあるが、むしろ過去のツケが吉田にまわってきたと言ったほうが正確かも知れない。現場にとどまって事故対応にあたった職員を危険にさらしてしまった責任もある。

旧経営陣はなぜ無罪になったのか?

吉田は2013年7月に他界した。彼が生きていれば、東京地裁で無罪となった東電旧経営陣の裁判の流れも変わっていた可能性もある。

裁判では、吉田の報告を知りながら、安全対策をとらなかったことが罪に問われ、3人は15メートルという数値が信用できなかった、予見可能性がなかったとして無罪を主張した。

判決は、吉田らの報告から「10メートルを超える津波が襲来するとの分析結果が出ることや、そうした可能性を指摘する意見があることは認識していて、予見可能性がまったくなかったとは言いがたい」としつつも、「3人が当時の知見を踏まえて津波の襲来を合理的に予測させる程度に信頼性や根拠があると認識していたとは認められない。原発の運転を停止する義務を課すほど予見可能性があったとは認められない」としている。

そして、「放射性物質が外部に放出されることは絶対にないというレベルの極めて高度の安全性ではなく、最新の科学的知見を踏まえて合理的に予測される自然災害を想定した安全性の確保が求められていた」として、こう断言する。

「当時の社会通念の反映であるはずの法令上の規制等の在り方は、絶対的安全性の確保までを前提としてはいなかった」

だから、事故を起こしても無罪。

吉田がこの判決を聞いたら、なにを思っただろうか。

(文中一部敬称略) 

青沼 陽一郎 作家・ジャーナリスト

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あおぬま よういちろう / Yoichiro Aonuma

1968年長野県生まれ。早稲田大学卒業。テレビ報道、番組制作の現場にかかわったのち、独立。犯罪事件、社会事象などをテーマにルポルタージュ作品を発表。著書に、『オウム裁判傍笑記』『池袋通り魔との往復書簡』『中国食品工場の秘密』『帰還せず――残留日本兵六〇年目の証言』(いずれも小学館文庫)、『食料植民地ニッポン』(小学館)、『フクシマ カタストロフ――原発汚染と除染の真実』(文藝春秋)などがある。

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