東京駅の片隅に残る「中央線複々線化」夢の跡 60年以上前の計画、ホームの屋根柱に名残り

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1957年、国鉄理事会は線路の増設計画を承認。東京―御茶ノ水間と中野―三鷹間で線路を増やし、複々線区間を東京―三鷹間に拡大して輸送力を強化することにした。東京―御茶ノ水間は、中央線の既設線に沿って線路を増やし、東京駅と神田駅もホームを増設。御茶ノ水駅は外堀上に張り出す形で拡張する計画だった。

東京駅のホーム増設案のなかには赤レンガの駅舎を撤去する案もあった(筆者撮影)

東京駅の中央線快速電車は現在、赤レンガの丸の内駅舎の裏側にある高架ホーム(1・2番線)を発着しているが、1950年代はその下、現在の山手線内回り・京浜東北線北行ホーム(3・4番線=旧1・2番線)を発着。旧1・2番線ホームと駅舎のあいだに若干のスペースがあり、ここにホームを増設するはずだった。

赤レンガ駅舎の撤去案も

このスペースは丸の内駅舎を建設した際、将来のホーム増設を想定して確保されたが、急増する通勤客をさばくには、それでもスペースが不足していたらしい。かつて国鉄が作成した図面を見ると、駅舎の一部を撤去するホーム増設案や、駅舎を完全に撤去してビルに建て替え、ビルの地上2・3階部分にホームを設ける案などがみられる。当時の赤レンガ駅舎は文化財とはみなされていなかった。

しかし東京駅はともかく、東京都心で地上に線路を敷くのは難しい。元国鉄中央鉄道学園講師の向井慧文氏によれば、「この東京のど真ん中で、しかも建物稠密な地域で、どうやって用地買収をして線増工事をするのかと誰もが疑念を持った。これには国鉄も苦慮していた」(「1960年代 中央線の輸送概況」『鉄道ピクトリアル』2007年11月号、電気車研究会)という。

こうした状況下の1960年、帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現在の東京メトロ)は、当時計画中だった東西線と中央線の直通運転を国鉄に提案した。

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