ロシアにのしかかる宴の後の憂鬱 政治に利用され続けるオリンピック

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政治に利用され続ける国際スポーツイベント

だが、ソチの問題の核心は、プーチンのお友達の汚職や、彼の差別的な同性愛宣伝禁止法よりもずっと根深いところにある。サッカーワールドカップの準備が進むブラジルであれ、弾圧が横行する独裁的な社会で開催された過去のオリンピック大会であれ、これまで幾度となく、ある一つの矛盾が顕在化してきた。

国際サッカー連盟(FIFA)や国際オリンピック委員会(IOC)は、自らの組織が政治的駆け引きとは無関係であると強調しているが、自分たちが開催する大きな大会を政治的に利用してきた、ありとあらゆるタイプの政権の中には、善良とは言えないものもあった。

その結果、スポーツに政治が入り込んだ。FIFAやIOCがその政治的潔白を主張すればするほど、国際スポーツイベントを自らの目的のために利用しようとする政権にとっては好都合なのである。

この矛盾は、近代オリンピック運動の始まりにまで遡る。1871年、フランスがプロシアとの戦争に敗れたことにショックを受けたピエール・ド・クーベルタン男爵は、団体スポーツを奨励することで、まずはフランス人男性の男らしさを復活させようと試みた。その後、彼はより大きな野心を抱き、そのビジョンに他国を巻き込むようになる。

軍事的衝突が頻発する世界にギリシャの古代オリンピックを蘇らせることで、平和と国際的な友愛精神が達成できるとクーベルタンは信じていた。彼は最初から大会が政治とは無縁であることにこだわり、人々の絆を強めることに尽力した。

同氏は亡くなる1年前、73歳のときにあるスピーチを録音している。ベルリン大会のスタジアムで流されたそれは、公平さと友愛精神の理想を説くものだった。その背後で、ヒトラーとその取り巻きは、ナチス帝国の名声を高めるために大会を利用していたのである。

その時もアスリートたちは自分の意見を口にしないよう求められていた。ナチスの人種差別に対する抗議はスポーツの非政治的性質という建前の下、強く非難され、弾圧された。その中でいくつかの妥協が生まれた。大会期間中、公共の場へのユダヤ人の立ち入りを禁止する標識がこっそり撤去されたのである。一方で、代表選手からユダヤ人アスリートたちの一部が外されていた。

その時代から何も変わっていない。今もまだお高く留まった非政治的オリンピック精神の愚かさをIOCがみののようにまとっているその傍らで、ますます独裁の色を濃くし、かつ混迷するロシアに輝きを与えようと、プーチンが冬季オリンピックを利用している。オリンピックは世界中の人々にたくさんの興奮を与えたが、うたげの後、プーチンの独裁政権の下で生きてゆかねばならない同性愛者や立場の弱い市民のことを忘れてはならない。

(撮影:Getty Images =週刊東洋経済2014年3月8日号

(c)Project Syndicate

イアン・ブルマ 米バード大学教授、ジャーナリスト

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Ian Buruma

1951年オランダ生まれ。1970~1975年にライデン大学で中国文学を、1975~1977年に日本大学芸術学部で日本映画を学ぶ。2003年より米バード大学教授。著書は『反西洋思想』(新潮新書)、『近代日本の誕生』(クロノス選書)など多数。

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