保護犬を迎え入れた漫画家が語る「ペットロス」 心を開かない「元野良犬」が救ってくれた
ペットロスという言葉があるくらい、犬や猫などを亡くしたときは深い悲しみに襲われる。私の場合は無自覚だった。オカメがお骨になった2日後、私の前歯が欠け落ちて、初めて思った。どうやら私は弱っているぞ、と。1カ月間コンビニの食事をしていたせいだけではないと思う。
オカメが大病をしたら惜しみなく使おうと考えていた貯金も、ぼーっとしながらぽいぽいと下ろした。治療も延命もできなかったから、たくさんあった。20万円くらいを服と化粧品に使ったら、あと欲しいものはなくなった。
私はもっと一緒にいるつもりだったのだ。オカメの目が白内障で白くなったり、顔に白髪が出てくるまで、一緒にいるつもりだった。10歳じゃそこまでいかない。短くたって、あと2年は一緒にいられると思っていた。
2匹目のギーに救われた
ズドンとあいた心の穴に、入ってきてくれたのは、やはりギーだ。別に寄り添ってくるわけじゃない。ギーはまだまだ人間が怖い。
いくらこっちが弱っていようと、毎晩オカメを思い出して泣いていようと、怖いもんは怖い。でもギーは、お散歩だけは好きだった。
オカメとサヨナラした日も、次の日も、その次の日も、ギーを連れて公園に行った。朝は私が、夜は夫が。しばらくは私も夜ついていった。ギーは本当に楽しそうで、それがめちゃくちゃかわいかった。
私は、「かわいい」という気持ちに勝るものを知らない。「悲しい」も「寂しい」も、全部「かわいい」の中にあると思った。
オカメがお骨になったとき、私と夫はすぐに頭蓋骨をなでたのだ。あんなにかわいい頭蓋骨を、ほかに知らない。死んだって、犬はずっとかわいい。
ギーがいなかったら、それを忘れようとしていたかもしれない。犬がかわいいってことを、夫と私だけで思い出すのはつらいから。欠けた歯を治して、分けていた貯金通帳は生活費とゴチャゴチャになって、もうよくわからなくなっている。オカメと別れてもう1年。早いとも遅いとも思わない。ただひたすら、今もオカメはかわいいなぁと思う。
ギーとも、もう1年半だ。家の端っこで小さくなっていた野良ちゃんが、今では名前を呼ぶと寄ってくる。5回に1回は。
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