谷中、立石、西荻窪…「ザ昭和」の街が消えるワケ 再開発でタワマンができればいいのか

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

結局、現時点では決まった計画があるわけではないようだが、いずれという日に備え、杉並区では西荻窪駅周辺まちづくり懇談会を開催し、今後も意見を聞いていきたいとしている。

住宅街から商店街、飲食店街へと変化してきた西荻窪駅南口。傾きが外からわかる建物などもあり、そろそろ更新は必要ではあるが……(筆者撮影)

もともとは戦争中の火除地が住宅地となり、商店街に変わり、現在は飲食店街として栄えている駅南口である。築80年(!)近い建物もあり、更新は必須だが、それがほかの街と同じタワマンでいいのか。地元では使い方を“妄想”、提案する動きがあり、11月には「ニシオギ空想計画2」と銘打ったイベントも駅前の不動産店で開催される。こうした提案が西荻らしい変化につながると面白いと思うのだが。

行政も再開発を後押し

道路と並んでもう1つの要因が、再開発の主体の変化である。NPO法人区画整理・再開発対策全国連絡会議の事務局長を40年近くにわたって務める遠藤哲人氏によると、1999年に都市再開発法改正で要件を満たした再開発組合を都道府県知事が「認めることができる」とされたものが「認めなくてはならない」となり、行政の姿勢が変わってきたという。

以前は9割以上の地元合意を求めた自治体が、3分の2ぎりぎりでもよしとするようになっている。小泉政権下の都市再生特別措置法では、再開発は行政主導から民間主導に舵を切り、短時間での完成を目指すようになった。

市民参加での街づくりとして知られる世田谷区太子堂2・3丁目地区の防災街づくりは1980年以降、30年、40年と時間をかけて行われてきた。だが、災害が頻発する昨今の日本ではかつてのように時間をかけてはいられないということだろう。デベロッパーからすれば、再開発は東京オリンピック特需後、効率的に収益を上げる手段の1つであり、熱心に取り組むのも無理はない。

行政も再開発を大きく後押ししている。例えば「センベロの街」として人気を集めて来た京成立石では、1990年代から駅前の商店街を整備する開発計画があった。その後、紆余曲折を経て2007年に立石駅北口市街地再開発準備組合が設立された。2017年6月に都市計画決定されているのだが、当初の予定と異なり、2014年になって再開発ビルが区役所の移転先としてあげられるようになったのである。

連絡会議の遠藤氏によると、2003年3月時点での再開発に関する報告書では、主にマンションが建設されることが予定されていた。

が、2018年12月に準備組合が一般地権者向けに開いた説明会での資料によれば、駅前広場の整備費118億円を除く、再開発事業費796億円のうち、行政側が246億円の補助金を用意するだけでなく、区役所の床分を243億円で買い、公共駐車場も23億円で確保することに。国の補助金も合わせると630億円もの資金が投入されるという計算である。 

次ページ「数字」がわからない案件が多い
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事