ダイソンがEVから撤退せざるをえなかった理由 テスラが築いた「高くて構わない」はもう飽和
社会的役務を背負い、商品として独特の魅力も備えるEVは、しかしながら今のところ、世の中の期待ほどには普及していない。
EVは2018年のグローバル販売台数実績で121万台。自動車全体におけるトータルシェアは1%少々。それが現実だ。新聞やテレビで頻繁に聞くEV新時代の話とはだいぶギャップを感じるだろう。
結局のところ、1%ちょっとのシェアという厳然たる事実がすべてなのだが、それではニュースバリューがない。なので部分に注目してトリミングして見せることになる。
例えばノルウェーだけを抜き出せば「環境先進国では3台に1台はEVだ」とも言えるし、20年前にはクルマそのものがほぼないに等しかった中国の伸び率を延長線で伸ばしていけば「●●年には内燃機関を抜く」と書くのも簡単だ。トリッキーなトピックの作り方をしないと話題にならず、やろうとすれば扱い易い特性を持つ素材でもある。要するにニュースの編み方にモラルハザードを起こしやすいのだ。
EVの実績が伸びない理由
しかし、そもそもなぜ世界の期待を集めるEVが1%少々の実績に甘んじているのか?
実は自動車の黎明期からEVは存在した。しかしほとんど見向きもされずに内燃機関の時代が続いたのである。問題の本質は当時から同じだ。エネルギー密度が低い。つまり「重量当たりのエネルギー量が少ない」。
クルマに仕立てるには航続距離が足りない。足りるようにするためには大量のバッテリーを搭載せねばならず、そうすると重いし高価になる。
「いやいや、エネルギー密度は目覚ましく改善されている」と反論する人が世の中にはいて、それは必ずしも間違ってはいない。そのあたりにかろうじてメドがついたからこそ10年ほど前から各社がEVをリリースし始めたのだ。100年前と比べれば進歩がすさまじいのは認めよう。
だが、商品として適正なバランスに達するには、まだあと100倍くらい進歩が必要だ。今の10倍ではまだ厳しい。EVは必須の技術であり、今後も継続的に開発投資が進むだろうが、2年や3年でどうにかなるレベルにはない。早くとも2030年くらいまではかかるのではないか。
2019年の今、EVのバッテリーは1台分で200万円から300万円くらいのコストと言われている。バッテリーだけでは走れないから、クルマに仕立てるとどうやっても350万円くらいにはなってしまう。
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