「首」賭けたウォークマン開発秘話 元ソニー副社長・大曽根幸三氏①

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おおそね・こうぞう 1933年生まれ。56年日本大学工学部卒業、ミランダカメラ入社。61年ソニー入社。一貫してオーディオ畑を歩み、カセットテープからMDまでウォークマンシリーズを手掛けた。94~96年副社長。2000~02年アイワ会長。

ウォークマンは1979年2月、盛田昭夫会長(当時)から「大学の夏休み前に発売しよう」と言われ、わずか4カ月で開発しました。録音できないただの再生機なんて売れっこないと直属の上司をはじめ社内のあちこちから中傷され、つらかった。あまりにも四面楚歌なので設計の仲間と、「本当に売れなかったら東芝か松下電器産業にでも入るか」と話したほど。しかし幸い、“上の上”が味方についていた。盛田さんが「俺が会長の首を賭ける。売れなかったら辞めてもいい」と言ってくれたのです。百万人の味方を得た気持ちです。

ところが発売当初はまったく売れない。グループ販社も系列専門店のソニーショップも「こんな半端物」と見向きもしません。唯一、丸井の新宿店にいた三十何歳の仕入れ担当の方だけが「これは売れる」とまとめて注文してくれました。あの恩は忘れません。その後ウォークマンは大ヒット。年末商戦期には一転、品薄状態になりましたが、恩義のある丸井には1万台を最優先で卸すよう販売にお願いしました。ああいう自分の目で判断できる社員がいたから、その後丸井は成長したのでしょう。

単純明快な目標設定が重要

初号機(写真)の価格は3万3000円。原価から逆算すると4万8000円でなければ採算に合いませんが、盛田さんが「売れる値付け」として判断しました。ウォークマンは市場に前例がない製品。値段ひとつとっても手本がありません。そんな製品の値頃感をどう考えるか。これは企業のフィロソフィーの問題です。価格次第では「いい製品だけど高い」と言って買ってもらえないのですから。赤字で始まったウォークマンが発売後1年ほどで申し訳ないほど儲かるようになったのも、盛田さんの売れる値付けの成果です。

その後、CDウォークマンの開発では、従来の据え置き型から大幅に小型化しなければならず、設計担当者に「この大きさでやれ」と木型を渡しました。できた試作品は確かに木型ピッタリですが、どうも厚い。よく見ると少し大きい木型とすり替えてあった(笑)。担当者がもう3ミリメートル厚みがないとできないと言うのを、「できるかどうかなんて聞いていない。できるまで知恵を絞れ」と叱咤。すると彼らも腹が決まり、発想を一新して成功させました。

このようにブレークスルーに挑むときは、単純明快な目標設定が重要。ビジョンと方向性を示せば、人間は大体やり遂げる。そこでリーダーがやるべきは確固たる信念を持ち、真っ先に一歩踏み出すことです。

週刊東洋経済編集部
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