「移民=労働者」の固定観念は捨てるべきだ 「外国人」「移民」ラベルが独り歩きの日本

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――『ふたつの日本』の「はじめに」で、「日本では長らく『移民』という言葉自体がタブー視されてきた」と書いている。「『移民』と生きていくことに困難を抱える『私たち』」、とも。日本人は何を「困難」だと感じているのだろうか。

少なくない日本人は、この国に「移民」が存在していると認めること自体に困難を抱えているのではないだろうか。日本は単一民族国家で、極めて同質的な日本文化がある、移民はいない――そういう国で暮らしているとイメージし、自己認識してきた部分を更新しなければならない、そのことに困難を抱えているという意味で。

政府が外国人労働者の受け入れ拡大について「移民政策ではない」という言葉を使うのも、そういう言説を支持し、欲する人々がいるからだろう。

この国に定住していく外国出身の人たちが増加していくということに対して、「そりゃそうだよね」とフラットに認識して前向きに考えていくこと自体をまだ受け入れられない、困難な部分があるのではないかと思っている。

例えば同じ団地内でのゴミ出しの話など、一緒に暮らしていく上での具体的な難しさを感じるという方もいると思うが、「はじめに」に書いたことはもっと広い文脈で、外国出身の人が増えていくこと自体を「なんとなく嫌だな」とか、そういう気持ちを持っている人たちが多くいるのではないか、という意味だった。

賃上げを進めていかないと生活は改善していかない

――例えばアメリカのトランプ支持者など、海外で移民受け入れに反対する人からは、移民に自分たちの仕事が奪われるのではないか、という声も聞かれる。著書で紹介している92年に閣議決定された「第7次雇用対策基本計画」には、単純労働者受け入れによる懸念事項として、外国人が日本人(特に高齢者)の仕事を奪ってしまうのではないか、社会的費用の負担が大きくなってしまうのではないか、とも書かれている。今もこの点は懸念事項として変わっていないのだろうか。

まず、仕事の奪い合いについては状況によっては起こり得ると思うし、起こらないと言うつもりは全くない。例えば今の日本では外国人労働者が150万人近く働いているが、それを明日から10倍の1500万人にしたらどうなるかと言えば、それは起こるだろう。経済の状況の中で、外国人労働者の受け入れに適切な人数というのはあると思う。

だが、なぜそもそも今、日本が外国人労働者の受け入れをこんなに進めているのかというと、特に日本人を雇用できない地方の産業や、これまで学生アルバイトに頼ってきたコンビニなどでの人手不足という側面が大きい。人手不足の背景として、現役世代が少なくなる形で人口のバランスそのものが悪化している。

そういう構造的な要因がとても大きいので、外国人労働者を一定程度受け入れても、もともと日本人を採用できていない中での話なので、いわゆる奪い合いのような状況は少なくとも今の日本では起きていないのではないかと思う。

あともう1つ言われるのは、外国人を低賃金の労働者として受け入れることによって賃金が上がらなくなるんじゃないかという懸念だ。これは現実によく考えたほうがいいと僕は思っている。

日本の経済は他の先進諸国に比べて賃金が低く抑えられている部分が大きく、平成に入ってから実質賃金や可処分所得が停滞していて、日本人の労働者の生活水準がほとんど上がらなかった。日本人労働者であれ外国人労働者であれ、賃上げを進めていかないと一般の人の生活は改善していかない。

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