「不倫」と「芸術」との深遠な関係 井上靖の「雪男」に埋め込まれた、不倫愛の清算

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一方の雪男である。

今回「男ってバカね」話のネタにされてしまった我らがヒマラヤの雪男というのは、イエティ(yeti)を指すことが多い。イエティは、ヒマラヤ山脈に住むと言われている人猿型UMA。全身が毛に覆われ、直立歩行するとされる。現地では古くから伝承されてきたUMAだが、1832年に在ネパールの英国人ホジソンが現地ポーターから聞いた話として雪男の存在を学会誌に発表。更に1887年、イギリスのウォーデル大佐が足跡を発見。時代は下り、1951年に登山家シプトンが撮影した有名な足跡写真によって、一気に世界中の関心が高まった。

そして1954年のイギリス「デイリー・メール紙」主催の探検隊を皮切りに、何度となく雪男探査隊が派遣されている。

雪男ブームを牽引した毎日新聞社

日本では、1952年、毎日新聞の竹節作太がマナルス登山隊に参加した際、雪男の足跡を見つけ、さらに逃げる雪男の後ろ姿を目撃して以来、1959年暮れからは毎日新聞がスポンサーとなり、雪男探検隊がヒマラヤに派遣され、そのレポートたる『雪男 ヒマラヤ動物記』が1961年に毎日新聞社から刊行されるなど、日本の雪男ムーブメントを牽引していたのは何と言っても毎日新聞であった。

そして毎日新聞といえば、井上靖がかつて15年も務めた新聞社である。自分の古巣である毎日新聞が滑稽なくらい熱心に雪男に取り組んでいる様を微苦笑をもって眺めつつ、肩の力を抜いて軽く揶揄しながら『群舞』を執筆した、というところだろうか(連載はサンデー毎日)。小説中のS新聞は、明らかに毎日新聞のことだ。

井上靖は、『敦煌』(1959年)、『蒼き狼』(同年)、『風濤』(1963年)といった彼の王道たる歴史作品群を生み出す過程において、「歴史小説において作家は、実在の人物の内面をどう描き、史書の記述をどう自作に位置づけるべきか」という問題に関する大岡昇平との烈しい論争を通じ、その成果を自らの歴史作品に厳しく反映させていった。

この論争は彼を苦しめたが、彼を作家として大きく飛躍させることにもなったという。その井上がしばし論争から離れ、現代史(あるいは毎日新聞を中心とした現代日本の雪男狂騒史)を、リラックスしながら描いたのが『群舞』なのかもしれない。そんなことを想像するのも愉しい。

『群舞』は、全体に散漫な上、エンディングが尻切れトンボになっている作品ではある。しかし、「あの井上靖が雪男を取り上げた」というキワモノ的興味、純粋に寓意小説としての面白さ、井上靖が古巣・毎日新聞を揶揄している点、エンディングの主人公の決意が、井上靖の実人生における「愛人との別離」を予言(白神の暴露本が真実ならばという留保付)している点など、さまざまな切り口で楽しむことができる。つまり、井上靖を読み解く上で、意外に重要な作品といえるだろう。

古書山 たかし 古書蒐集家

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こしょやま たかし / Takashi Koshoyama

書籍、レコードなどの稀少な出版物を蒐集しているうちに、家の中は資料の山。その整理をめぐって家族との論争が絶えないのだが、それでも蒐集の手を緩めることはない、情熱の人。出張の折などには、古書店めぐりを欠かさない。「古書山たかし」は、もちろんペンネーム。実は会社四季報にもその名前が掲載されている上場企業の経営者だが、その正体はヒ・ミ・ツ。もちろん社業を軸に据えているので株主の皆様、ご安心ください。

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