あの地方駅が「北アルプスの玄関口」になるまで 塩で栄えた信濃大町、登山客の誘致で脚光

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北アルプスの玄関駅として登山客でにぎわう信濃大町駅。駅舎は2010年に山小屋風にリニューアルされた(筆者撮影)

平成最後の――という言葉が広く流布している。しかし、こちらのトロリーバスは平成最後ではなく、正真正銘の最終運行を終えた。

長野県大町市の扇沢駅と富山県立山町の黒部ダム駅を結ぶトロリーバスは、立山黒部アルペンルートを形成する交通機関として主に登山客に利用されてきた。ダム建設の資材・人員搬送用に造られ、ガソリン燃料よりも電気を動力にしたほうが立山の自然環境に負荷が少ないという配慮がある。

トロリーバスから電気バスへ

黒部立山アルペンルートを担う関西電力のトロリーバス。昨年12月の営業終了をもって廃止され、今後は電気バスによる運行となる(筆者撮影)

トロリーバスは、“バス”という名称がつき、見た目もバスそのものだが、法的には鉄道に分類される。4月の新シーズンから電気バスに移行するのに伴い、運行事業者である関西電力は国土交通省に鉄道事業の廃止を届け出た。

北アルプスの雄大な山々は、登山客や観光客を魅了してきた。その北アルプスの玄関駅が、JR大糸線の信濃大町駅だ。

車窓から北アルプスの雄大な大自然を一望できる大糸線は、建設計画が持ち上がった明治末ごろから長野県、地元財界の期待を背負った路線だった。大糸線は、江戸期に日本海側と松本とを結ぶ主要街道の千国街道をほぼトレースする形で建設されている。千国街道は、古代から塩の道として利用されてきた。

内陸国である信濃は、海がないために塩を製造できない。塩の入手に困窮していた武田信玄に対し、ライバルだった上杉謙信が塩を送ったとされる逸話“謙信の義塩”は現代でも語り継がれる。“謙信の義塩”は、後世に創作された逸話とされているが、日本海の糸魚川から千国街道を通って松本まで塩が運ばれていたことは史実のようだ。

江戸時代になっても松本藩は、太平洋側から塩を運ぶことを禁じていた。そうした事情もあり、大町は幕末になるまで塩輸送の中継地として栄える。

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