「怒り」で仕事が手につかない人のための処方箋 ネガティブな気持ちは自分も他人も傷つける
実は、こうした恐ろしい悪循環を断ち切るのに非常に有効な方法があります。それが「祈り」です。
「祈り」は最強の心理療法
「祈り」というと特定の宗教の方法論なんじゃないか、怪しいからやりたくないな、という印象を持つ方も多いかもしれません。しかし、祈りというのは、非常に有効な「心理療法」であるというのが、僕の考えです。ぜひ、ビジネスの現場の皆さんにもこれを1つの「ツール」として取り入れていただきたいと、まじめに思っているのです。
やり方はシンプルです。ひとときの間目をつむり、あなたの身の周りにいる人の顔を思い浮かべて「いつもありがとうございます」と感謝し、「幸せでいてください」と心から願う。これだけです。5〜10秒でできます。
ただ、たったこれだけのことでも、実際にやろうとすると、意外に抵抗があることに気づかれると思います。特に、いつもあなたにプレッシャーをかけてくる上司や、馬が合わない同僚を思い浮かべて幸せを祈れるかというと、多くの方にとってかなり難しいことのはずです。
ですので、まずは身近な人からで結構です。家族でもいいし、仲のいい友人や、学生時代にお世話になった先輩でもいいでしょう。自分が好感を持っている人の顔を思い浮かべて、「幸せでいてください」と祈ってみる。実はこれだけでも、最初はちょっと気恥ずかしい思いがするものです。
それができたら、次は毎日顔を合わせる人で、特に好きでも嫌いでもない相手を思い浮かべて、「幸せでいてください」と祈ってみてください。「苦手な人の幸せを祈る」のは、これを1カ月ほど毎日続けてから、「やれそうだ」と思ってからで十分です。
苦手な相手のことを祈れるようになってくると、「ああ、あの人もまた、自分とは違った形で会社や社会に貢献しているのだ」ということが納得できるようになってきます。そうするとだんだんと、共に働くことが苦にならなくなってくるのです。
なぜ、祈りには人間関係の悪循環を断ち切る効力があるのか。ここにはいくつかの心理的メカニズムが働いていますが、最も直接的なところで申し上げると、祈ることで自分の中にある「被害者意識」を払ってくれることが大きいのだと僕は思います。
私たちはみんな、心のどこかで自分を「被害者」だと思いたがっています。なぜか。それは、自分を被害者の立ち位置に置くことによって、相手の非を容赦なく責め立てるための「免罪符」を得られたように感じられるからです。
自分は損をしている。自分は恵まれていない。必要なものを与えられていない。だから他人を責め立ててもいい。そんな被害者意識に囚われてしまうと、私たちの心は怒りに深く毒されます。
「得意先の部長の無茶な注文で、うちの会社は潰されてしまうかもしれない」
仕事を通じて、こうした被害者意識を持ったことがない人はいないでしょう。また、こうした思いを持って当然なぐらい、さまざまな出来事が起きるのが仕事です。しかしながら、こうした被害者意識にどっぷりとつかっているうちは、私たちの心は怒りにまみれ、正常な力を発揮することができないのです。