「観光の目玉」SLを手放す真岡鉄道の葛藤 2台体制に終止符、「地域の誇り」もコスト重荷
真岡線の沿線には高校が7校あり、乗客の7割弱がこれらの高校に通う学生たち。しかし人口減少のあおりを受けて乗客数はピークの1994年度から6割以下にまで落ち込んでいる。観光客の誘致と言っても、「SLもおか」を除けば春夏の年に2度行われる益子陶器市でにぎわいを見せる程度だ。
「昭和40年台には真岡駅からバスが出ていましてね、真岡工業団地まで通勤のお客さんをたくさん運んでいたものです。今とは比べ物にもならないくらいにぎわっていましたよ。でも、今は真岡鉄道で工業団地に行く人はほとんどいなくなりました」(真岡鉄道の竹村氏)
今では工業団地への通勤者は多くがマイカーを使い、出張などで足を運ぶ人たちもJR宇都宮線の石橋駅や宇都宮駅から送迎バス・タクシーを用いるのが当たり前。かつて真岡線で随一のにぎわいを見せていた真岡駅前もすっかり廃れ、客待ちをするタクシーも少なくなった。その少ない真岡駅前のタクシードライバーは言う。
「真岡市内の人たちが無線で呼んでくれることがあるからね、そのための待機場所として真岡駅前にいるくらいですよ。1日いても駅から降りてきた人は誰も乗ってくれないことも珍しくないですから。駅で降りる客を乗せるなら真岡じゃなくてJRの駅のほうに行きますね」
SLブームの先駆け
1980年台には廃止の危機もささやかれたが、第三セクター路線として国鉄・JRから継承して生き延びた真岡鉄道。支えてきたのは紛れもなく「SL」であった。沿線でもその意識は強く、小林氏は「知名度アップや企業誘致などSLがもたらした沿線へのプラス効果は大きい」と話す。
また、東武鉄道の「SL大樹」をはじめとする近年の“SLブーム”の先駆けとなったという自負もあるようだ。
きっかけはC12形を連続テレビ小説『すずらん』のロケに貸し出したこと。それを契機に真岡鉄道のSLが注目を集め、2台体制による通年運行へと踏み切った。新潟で静態保存されていたC11形の譲渡を受け、約1億7000万円かけて動態復元工事をしてまでの“2台体制”実現だった(復元工事はJR東日本大宮工場で行われた)。
「毎週末になるとSLが走る。子どもたちが喜んでくれますし、地域にとっては大きな存在なのは事実だと思います。80年代の廃線の危機を乗り越えて、真岡線を存続させてきたのは紛れもなくSLの効果です」(小林氏)
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