また、卒業から帰国までの半年間を利用して、ネイルスクールに通ったのも、「ネイリストの資格があれば、ブライダル業を営んでいる母親の事業を手伝えるだろう」という軽い気持ちだった。
友人の言葉がきっかけでチャレンジを決意
タカエさんの運命を変えたのが、ネイルスクールで出会った友人だ。3歳からバレエを習い、大学でもダンスクラスに参加していたタカエさんを見て、「タカエは、本当はやりたいことがあるんじゃないの? ニューヨークに残って、チャレンジするべきだよ」と説得されたという。
実は、タカエさんは「舞台に立ちたい」という誰にも言えない夢を抱えていた。ちょうど、映画界にいる知人に「演劇をしたいなら、演劇の学校に通ってテクニックを身に付けたほうがいい」と聞いたこともあり、迷った末に進路を変更。帰国を取りやめ、ニューヨークに残ることを決意した。
アルパチーノも通ったという演劇学校に入学を申請したタカエさんは、1度は「あなたの英語力では、演技などできない」と入学を断られたというが、そこであきらめず、熱意を伝え、なんとか入学を許可された。
演劇学校に入学したタカエさんを待っていたのは、やはり言葉の壁。発音のクラスでは1つの音を永遠に練習させられた。
「Acting is all about talking.=演じることは話すことそのもの」
演技の世界では、アメリカ人ですら、地方特有の訛りを矯正するために、徹底的に発音練習をするという。18歳まで日本で育ったタカエさんが、苦労するのは当然だ。さらに、文化・習慣の違いもストレスとなった。グループワークでは、自由気ままなクラスメートに振り回されるなど、苦労しながらも、「日本人特有のまじめさが、評価された」という。英語はもちろん、演劇やダンスに必死に取り組んだタカエさんは、通常より半年早く1年半で演劇学校を卒業する。
卒業後、オーディションを受け続け、「次に落ちたら帰国しよう」と決めて受けたダンスカンパニーのオーディションに合格した。ニューヨークであこがれのダンサーとしての活動がスタートした瞬間だった。
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