過疎化する島で目撃した「現代アートの挑戦」 直島が現代アートの聖地になった軌跡とは?

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ここでは、クロード・モネの「睡蓮」を中心に、ウォルター・デ・マリア、ジェームズ・タレルの3人の作品だけが展示されている。

秋元氏というモネを担当するキュレーター、デ・マリアとタレルという2人の現代アーティスト、そして安藤忠雄という建築家が互いに激しく意見をぶつけ合いながら、ここでしか見られないサイトスペシフィック(場所限定的)な展示が作られた結果、建物全体が巨大な芸術作品として仕上がっている。

現代アートは頭で理解しなくていい

私が最初に直島の地中美術館を訪れた頃は、現代アートというものを、そして直島プロジェクトというものを全く理解していなかったが、その時にベネッセの福武總一郎会長から、「現代アートは頭で理解しなくて良いんです。ただ体感してもらえれば良いんですよ」と言われ、目の前の霧が一気に晴れた気がした。

それまでは、どこか取っ付きにくく、苦手意識を持っていた現代アートを、その時に初めて素直に楽しめた。

ブルース・リーの代表作『燃えよドラゴン』で、彼が弟子に向かって”Don’t think. Feel!”と言う有名な場面があるが、正にそういった感じである。

本書のもうひとつの読みどころが、現代アートの世界で秋元氏が歩んできた数奇な半生である。

元々、秋元氏は東京藝術大学美術学部絵画科を卒業したアーティストだったのだが、その後、美術評論家になり、たまたまベネッセに就職することでアートマネジメントの世界に足を踏み入れた。

1991年から2004年まで、ベネッセで美術部門の運営責任者として直島・家プロジェクトを担当したほか、ベネッセアートサイト直島のチーフキュレーター、地中美術館館長、直島福武美術館財団(現・福武財団)常務理事などを務めた。

その後、金沢21世紀美術館の館長を経て、現在は東京藝術大学大学美術館の館長兼教授などを務めている。

本書を読めば分かるが、その人柄は一言で言えば、とても熱く一本気な兄貴肌である。

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