20~30代が負う「日本型先送り」の甚大なツケ 人口構成を見れば火を見るよりも明らかだ
現在の社会保障財政の悪化を財務省のトップがかなり前から予測していたことは本人も認めています。それにもかかわらず、その対策のために増税したり給付を減らしたりすることは国民の受けが悪いため問題が長らく放置され、2000年代に入って遅まきながら対策を講じたところで間に合わず、現在のような年間数十兆円規模の赤字を垂れ流すような状況になってしまいました。
問題はわかっていたのに対策は取られなかったのです。
このような長期展望がない状態は今でも続いており、日本政府には累積で800兆円を超える長期国債がありますが、これだけ政府の借金が積み上がっていても、将来的な財政政策のあり方については長期方針が示されていません。これでは状況が悪化するばかりです。
先送り自体は必ずしも問題とはいえず、しばしば最良の政策とすらなりえます。経営学の世界的な大家であるP・F・ドラッカーも著書『ネクスト・ソサエティ』(ダイヤモンド社)で指摘し、高く評価しています。ところが、問題は経済成長が停滞し人口が減ろうとしている転換期においても、日本政府が「先送り」を基本戦略とし続けていることです。
このような社会の活力が弱まっている状態で先送りを続けると、問題は解決されるどころかどんどん大きくなってしまいます。たとえば社会保障制度の問題などは、人口が増え続けるかぎり制度の担い手となる若年労働者が増えていくので自然と解決されていくものがほとんどですが、今の日本では逆に人口が減っていく局面ですから、先送りすればするほど制度の担い手が減っていき、受け手である高齢者が増えることで問題が大きくなってしまいます。そのような状況でも「先送り」という政策を取らざるをえないのが今の日本の政治構造で、これこそが日本政治の宿痾(しゅくあ)といえるでしょう。
読者の皆さんには勘違いしてほしくないのですが、個々の与党政治家や官僚の多くは日々迫り来る問題に対処することに精いっぱいで、ある意味責任感を持って社会を維持するために懸命に「先送り」を続けており、そうした彼らの仕事自体には敬意を払うべきだと思っています。
彼らが四苦八苦して問題を先送りしてくれなければ、日本社会は今すぐにでも崩壊してしまいかねない状況ですし、私自身も少し前までその一員でした。その意味では「きちんと先送りすること」こそ官僚なり政治家なりの「個人の責任」といえます。ただ問題の解決が望めない分野で長期的な視点を持たず先送りを続けることは、「組織として無責任」ともいえ、今の日本の政治はそのような意味で「個人として責任感がある政治家や官僚が、政府の組織としての無責任を助長する」という状況に陥っています。
人口ピラミッドの逆転
日本の政治は2~3年スパンで政治を考える与党議員、与党議員の意向を踏まえて対症療法的な政策を立案し問題を先送りする官僚、そして政権・与党を刹那的な視点で批判し足を引っ張る野党、という構図の「先送りシステム」で回っています。その結果、わが国は「問題はわかっているけど対策が講じられない」という状況が続き、当座社会は安定しているものの問題の先送りが続き将来的なリスクが拡大し、それが財政赤字などの形で顕在化しつつあります。
この政治構造は属人的なものではなく、システム的なものなので、容易には変えることはできず今後とも続いていくものと思われます。
ここで私たちが考えなければならないのは、「それではわれわれはいつまで問題を先送りできるのか」ということです。もちろん個別の制度ごとに先送りの限界がくる時期は異なるので、一概に答えは言えません。ただ大きくくくると私たちの生活は、国内で福祉サービスへのアクセスや最低限の生活水準を私たちに保障してくれる社会保障制度と、対外的な脅威から国民を守る安全保障制度によって守られており、治安や社会のルールとなる基本的な法制度の執行を除いて、国自らが多額の予算を使って取り組む政府のサービスは広い意味では、このいずれかに位置づけられると言えるでしょう。
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