米朝会談開催で注目「老華人企業家」本の中身 華人のホテル王がつづる旺盛な企業家精神
「振り返って見るなら、どのように経済建設を進めるべきかが分かってはいなかった。戦争の時代は英雄を必要とするが、戦争に勝利した後の政治の力点は経済建設と国民の日常生活向上に置かれるべきだ」と毛沢東を批判する郭は、母親に倣ってか鄧小平を高く評価する。
文化大革命によって全中国が疲弊していた当時の1970年代半ばに2回目の訪中を果たした郭は、
「中国は激変していた。官僚主義は猖獗(しょうけつ)を極め、人々は猜疑心に固まっていた。多くの幹部はビジネスの経験がなく、資本家を中国の富を掠め取りにやって来たヤツと思い込んでいた。経済発展の方法を知らないにもかかわらず、経済運営を他人に任せる心算はなかった」。毛沢東思想の学習を続けてきた中国人からするなら、郭もまた「中国の富を掠め取りにやって来たヤツ」の1人だった、ということだろう。
この逆境に、父親譲りの「経商頭脳」が動き出す。先んずれば人を制すとばかりに、彼は「風険投資(ハイリスク・ハイリターン)」に賭けた。すると「彼女世代の中国人の本質と考え方を知る」母親は、「成功したとしても、お前の成果は彼らによって完全に掠め取られてしまう」と反対し、「中国が犯した罪、歴代の政府と指導者の弱点を徹底して解き明かしてくれた」。
「無限の権力を持つ者」がいる中国
郭は「毛沢東死後にこんなにも激しく変化するとは思いもよらなかった」という。「幸か不幸か私は華人に生まれていたし、それが一貫した私の誇りだった。中国の没落を耳にする度に、いずれの日にか中国は世界をギャフンと言わせるだろうと考」えた末に、「なんとかわが中国の同胞を手助けできないものか」と思い立ち、「先進的な経営思考と手法」を引っ提げて中国市場に乗り込む。だがあくまでもビジネスである。ボランティアではないから「相互が尊重しあう取引」、当然ながら儲けが大前提となる。
毛沢東が農民を農村に縛りつけてきた人民公社制度が廃止された1982年、還暦目前ながら彼は中国ビジネスを本格化させる。「この年齢に差し掛かると、多くは引退を考え始める」が、35年余が過ぎた現在でも彼は経営の最前線に立ち続ける。
「中国各地で何百人もの関係者と付き合い、数千時間を過ごした。そこで貿易業務を主管している人々が、基本的にビジネスのなんたるかを徹底して理解していることを発見した。当初は中国で物事を処理する方法を身に付けようと努めたが、何年かの試行錯誤の末に壁にぶち当たってしまった。同じ民族であるものの、やはり中国の当局者を相手にするのは容易なことではない」
「中国の当局者を相手にするのは容易なことではない」のは、「共産主義体制下では、決定権が特定の政府当局に委ねられている」わけではなく、じつは「中国大陸においては他に無限の権力を持つ者がいる」からだと説く。中国において商機が開けるかどうかは、ひとえに「無限の権力を持つ者」を探り当てるかどうかなのだ。
郭にとっての「無限の権力を持つ者」とは、かつては鄧小平であり、現在は習近平主席に違いない。
彼のビジネス手法が、多くの華人企業家と同じように政商色に染まっていることは否定し難い。中国市場においてもそうであるように、マレーシアにおいても同じであった。